限界流夢譚@2023.02.22
✥✥✥ドーモ✠★✠オジ(‐◎✹◎‐) サン✠★✠ドーモ✥✥✥
ヴォクシーの調子がええわ、最高じゃ。
やっぱ夏タイヤがええな、最高じゃ。
気分がええわ。
マジで他に欲しいクルマとか無いからな。
ある意味で怖いぞ、何のモチベーションもわかん。
今うちに二台しかないが、ちょうど良いんだよな。
前は三台、ちょっと昔は五台ぐらいあったからな。
じゃまくさいからな、車多いと。
でも一台ぐらい趣味のちっこいのが欲しい気もする、ていうかあるとたまに便利。
だけど欲しいのが無い。
アルトワークスが良いかなとも思っていたが、そこまでほしくないな。
N-ONEのRSの方が好きだわ、値段以外は。
ていうかぶっちゃけ乗り心地が良い車は欲しいけど、ヴォクシーで満足できるということはそれ以下の車をセカンドで買う意味はないわな。
となると国産Cセグ以上になるんだよ。
外車のコンパクトって手もあるが、乗り心地がヴォクシーより良いわけでもないだろ?
ヤリスとかフィットも乗り心地がヴォクシーより良いわけじゃないだろ?
ヴォクシーより確実に快適かなってラインが国産Cセグかなって思うところだけど、まぁインプレッサあたりかカローラシリーズかマツダ3か。
マツダ2はコンパクトだけどかなり感触が良かった。
でも、それならスイフトスポーツが欲しい気もするが、そうなると自分の好きなラインからは少しずれる。
現行インプレッサが一番好みに近いとは思うんだよね。
次点でカローラスポーツかカローラセダンか。
でも維持費なんかはヴォクシーと同じなわけで、そうなると無駄と言えば無駄になる。
まぁ考え出すとめんどいし、ヴォクシーで良いわけだから答えとしは、まぁいいか、と。
なんか欲が出ないな。
欲無しオジ(‐◎✹◎‐) サンになってきた。
酒も飲んでないし、他に欲しいものも無い。
無欲の極みまでいけるか。
ゲームもなぁ、とりあえずゼルダがめんどいから他の積みゲーやろうかと思っておる。
あとやっぱり読書がおもしろいな。
本は良い。
テスラはマジでどこが良いのかよくわからんな。
内装とか使い勝手悪すぎデザインで、インターフェイスの重要性考えたらありえないんだよ。
ていうか自動車全般が退化しているよな。
一昔前の軽トラぐらいのインターフェイスが一番使いやすいからな。
オジ(‐◎✹◎‐) サンは前にも書いたが、少子化対策だけでなく経済対策も含めた政策としてだな、美女完全無税アンド補助金制度を確立すべしと考えている。
世界中の美女はウェルカム制度もな。
巨乳美女ならさらにボーナスや。
美女または巨乳美女というだけで国が全て面倒みるんや。
しかし年齢制限付きな。
年齢制限にかかるまでに結婚して子供産んだら無税&補助継続や。
国ぐるみでそれやったらだ、世界中から巨乳美女が集まる。
我が国の巨乳美女もつまらん仕事せんでもいいから結婚バンバンするやろ。
万々歳やがな。
ついでに美男子も同じくそうしたら良い。
差別?
税制そのものが差別構造だろ、お前。
別に美男美女じゃなければ課税増やせとは言っておらん。
それをやったら本物の差別じゃい。
世の中の少子化であれこれ考えている奴らは頭がつまらん奴らばかりだろ?
だってどいつも真剣に考えていないからな。
オジ(‐◎✹◎‐) サンみたいに真剣に考えたら、ナイスアイデアが出るんだよ。
【小池百合子】都民ファーストの会 Colabo問題で動き始め都民ファーストの会幹事長のtwitter炎上wwwwwwwwwww
浜田議員 ガーシー懲罰案可決の場でColabo問題をぶっこみ無双開始…立憲共産党はヤジ大発狂wwwwwwwww
実はこれからなんだよな。
ま、ガンバ。
あいつらって本当に頭悪いな。
スルメロックを訴訟するってのは、フランスの風刺画の「シャルリー・エブド」に対するテロを容認するのと同じことだぞ。
つまり表現の自由の敵になるってことな。
それは違うと言い張ってもだ、同じなんだよ。
それやったらつまりはパブリック・エネミーということだ。
確信犯でパブリック・エネミーでも良いって立場なら良いけどもよ、ダブスタやるわけだろ?
つまりパブリック・エネミーであり頭の悪い連中ってことにもなるんだよ。
脱宗教であるとか無宗教であるとか科学は信じるけど宗教は非科学的だから信じませんってのは、要は思考停止ってだけなんだよ。
宗教は思考の結果であり、思考とは疑問と思索の繰り返しだろ。
宗教は必ず他者が必要で、それを神であるとか佛であるとか名称はともかくとして、他者(自分以外の存在)というものと自分というものの関係性の中での膨大な思考の結果なわけだよ。
なぜ戦後に急速に宗教を否定するかというと、自分だけの思考というバカ製造機が都合が良くなったわけだ。
それを共同体幻想だの公の喪失だの色々と言われるわけだが、要はミーイズムというバカ製造機教団になっただけ。
だから信仰を鰯の頭も信心からにしか理解できなくなった。
諸問題のあれこの諸問題って半分ぐらいは経済政策問題だとも思うが、根本は成長に希望が無いからだと思うんだよね。
世界一の金持ち国家になっても、幸福度には上限があるわけだ。
アメリカが世界一の経済大国だけども、貧乏人だらけでジャンキーだらけでどうしようもない現実があり続けるわけだろ?
それは福祉や公共政策ではどうにもできないわけだろ?
金配り政策やったらインフレが進むだけでな。
幸福そのものは、半分は生活の向上だが、もう半分は社会的なものだろ?
つまり価値判断が社会の中で作られる。
だけどもその価値判断を出せる宗教であるとか歴史文化伝統であるとかの価値を下げまくった結果、つまりは金銭的な尺度しか公平性の担保できる価値判断ができなくなった結果が、物理的な幸福実現しか社会全体でコンセンサスを得られなくなり、公共も物理的なサービスのみを最低限と最上限の保障としかできなくなったんだよ。
むちろんその建付けから外れて幸福度を高めることが出来る人もいるわけだが、オジ(‐◎✹◎‐) サンみたいに。
だけどそれってベースとなる価値判断があるから、その上に新しいものを載せられるだけなんだよ。
で、経済成長であるとか社会全体の諸問題の解決であるとかそういうのって要は希望が無いとできんのだ。
希望ってのは簡単な話で、銀行から金借りて会社やったり仕事始めたりしたら多分きっと返せるし金も儲かるし人生上手くいく、みたいなものなんだよ。
つまり拡大再生産が続くだろうという希望的観測が希望なわけで、それが出来ないと楽ちんな悲観論になるわけだ。
ロスジェネの失敗は同時期に、さらにその前のバブル経済以降の失敗点でもあるが、その要因は希望の喪失=銀行などが金を貸さなくなったってことなんだよ。
厳密には金は貸すが担保で同価値のものがないとダメとか、サラ金程度の小銭だけしか出さないとか、金融が金を出さなくなったからなんだよ。
その要因を作ったのは大蔵省並びに国民の皆様でもあるわけだが、要は金を貸すことがリスキーになりすぎた→金を返せないことがリスキーになりすぎたからなんだよ。
だから反緊縮ってのは正解の一つでもある。
同時にそれだけが正解でもないのがリスキーさを作り上げているのが何かという点が無視され続けている点なわけ。
それは、失敗の要因は失敗そのものが無限の責任論になるからだよ。
先の大戦の失敗は失敗だけど、責任なんかどうだって良いんだよ。
そこに気が付かないと、実は失敗論なんて無意味なんだよね。
だって国家の失敗は国家全体に責任があるわけだけど、じゃあ責任があるからどないせいって話になったら国家全体で切腹かますわけにもいかんだろ?
だって意味がないからな。
それをやるべし、と言うのなら本質論になるけども、誰もそれ言わないじゃん。
だからオジ(‐◎✹◎‐) サンは我が国の戦争論から敗戦論のどれも無意味だと思っている。
だから責任論なんて失敗論と切り離さないといけないんだけど、それが出来なかったわけだからいつまでもつまらん話を続けているわけだ。
バブル経済もそうであり、失われたウン十年もそうだよ。
失敗点は個々にあっても、責任は社会全体にあるわけだし、社会とは個々の構成員によって成り立つ以上は個々に責任があるんだよ。
それを言う者は限りなく少ない。
だろ?誰も悪いのは僕たちなんですって言わないんだよ。
あいつが悪いってのは無限にあるけどもな。