俺の話を聞け、頼むから,  遺偈

令和最新式☆超☆戦争論

戦後77年である。

つまりここいらで一発戦争論をかましておきたいのである。

ただしクラウゼヴィッツ以降の戦争論とはわけが違う。

お脳のあたりがどうも怪しいオジ(‐◎✹◎‐) サン流の戦争論である。

そう、令和最新式の戦争論である。

刮目せよ、慄け、平伏せよ。

朕こそ軍神、毘沙門天の守護を以下(ry

①戦争論の究極系とは超兵器論である

いきなりですまん。

我慢できんかったのでぶちかましておく。

いきなり全てをぶち壊してやる。

戦争論は畢竟兵器論である。

我が国において何故これほどまでに戦争を忌避させる力が働くのかと言えば、一つに核兵器の存在がある。

人類史上初の核兵器攻撃を二度受けた国家である。

それ故に、その威力故に、戦争忌避能力をその記憶が持つ事になった。

つまり、兵器として最強であることを我が国は体現せしめているわけである。

わかる?

核兵器の攻撃を受けて、それが恐ろしいから非核三原則だの憲法9条だの大事ってやってるってことは、それだけ核兵器がとんでもにゃー兵器だって言い続けるのと同じことよってことよ。

わかる?

で、核兵器被害を調べて諸外国は内心どう思ったかって言えば「なんだ復興できるし放射性物質が残留する感じでもないじゃんなんとでもなるんじゃね?」ってとこである。

つまり核兵器はその後威力増大を目指したのと同時に、コントロールできる兵器であることも目指した。

威力増大の道はツァーリ・ボンバによって極限Dreamerとなりドン引きされたが、コントロールできるものは超高威力の通常兵器の延長線にあるものを目指して便利道具化したのである。

さらにつまりだが、要は日本人が思っているほど世界のお友達共は核兵器を恐れてもないし使ってもいいんじゃね?とも思ってる。

で、世界の最先端は今何を思うかっていうところだが、言うほど核兵器が恐れられていないと同時に使うことはレッドラインともしている。

それは核兵器単体が恐ろしいのではなく、とまらない報復が恐ろしいという現実があるからである。

で、考えたら誰でもわかることが一つある。

核兵器越える超兵器作ったら、ひっくり返るんじゃね?ってことである。

だからタングステンの棒を宇宙から飛ばすなんて超兵器を本気で考えないといけないわけだ。

同時に、核兵器を越えまくる兵器がポンと生まれたら、核兵器を恐れていた人類は日本人以外完全に消滅するのである。

それが超兵器論の基礎である。

②超兵器の時代

超兵器の時代は必ずやってくる。

それがいつかは知らん。

例えば核融合炉の実験をやっているが、あれが実用化されたらそれなりのもんが生まれると思っておいた方が良い。

兵器とは言い換えれば破壊のエネルギーである。

核融合炉から生み出される莫大なエネルギーがあれば、それだけ高威力のものが作れるという単純計算である。

だが、現在から未来において考えられる最大のエネルギーとは、情報である。

情報とは即ち世界である。

で、オジ(‐◎✹◎‐) サンの中での近未来に生まれる超兵器は情報化兵器であると思っている。

つまりコンピュータウイルスのような、そのウイルスのようなものに何もかもコントロールされる、それこそが最強の情報兵器である。

今でも世界では相変わらずハッカーな戦いが繰り広げられているわけだが、それらを全て覆すほどのものが兵器化されたアプリなりコードなりが生まれると思う。

そうなると、実は核兵器なんかよりも効率良く世界を破滅させることができるようになるだろう。

考えてもみたまへ。

軍事は情報が全てなのだよ。

その情報をコントロールできる超兵器こそが、最強の超兵器なのだよ。

天気の情報一つでも良いんだ。

それさえコントロールできるのなら、その破壊力=エネルギーは未知数になる。

地図が全て書き換えられたら、人々はどうしようもなくなるだろう。

情報化の行き着く先は、実は超兵器が全てを握る世界なのかもしれない。

そしてそんな未来がじつは来るべき未来であるのかもしれない。

空から原爆を落とすものが超兵器なのではなく、ただの数字の羅列そのものが超兵器となる。

そうなった時代に我らは戦争をどう語るのか?

③戦争反対という安全圏の崩壊

2022年8月現在、ウクライナへのロシア軍の侵攻戦はいまだ続いている。

このロシアの暴挙で実は一つの安全圏が崩壊した。

それは簡単なもので、戦争反対という立場そのものだ。

戦争反対であっても、戦争は止められないし始まってしまう。

恐るべきことにプーチンですら戦争反対ですか?と聞かれたらダーと答えることだ。

戦争当事者ですら戦争反対なわけで、実はそんなものは安全圏でも何でもなかったというだけの事実が非常に不愉快かつ迷惑な人々が多くいる。

憲法9条にご利益はなかったことが証明されただけのことなのだが、それが実に不愉快で迷惑だという人々だ。

実はこれで困る人々は多い。

子どもたちに何と言う?戦争反対を叫んでも戦争は起こってしまいました、そんなことは言えない。

戦争は必ず起こる、そう言うと顔をしかめる人々ほど戦争がいかにどうあがいても起こりうる「自然」であるということを学ぶことはない。

今起きている戦争は、兵器の戦争であり、戦争とは兵器を用いるものだ。

その兵器をなくすことは、戦争をなくすことでもあるが、兵器がなくなることはない。

なかった、というのが現実だ。

軍隊をなくすことに成功しても、兵器をなくすことに成功した国家は無い。

我々にとって兵器とは、自然そのものだ。

我々そのものが兵器でもあるのだ。

そこを忘れているのが戦争反対を叫べば正義になれると思い込む猿である。

そう、我々は猿にすぎない、厳密には猿の親戚である。

どうあがいても、戦争しかしないのだ。

まずはそこから、なのである。

だが、まずはそこからすら忌避される恐るべきカルト的なものが戦争反対という安全圏幻想なのだ。

事実を語ることも戦争を肯定することであるらしい。

どれだけの銃弾砲弾が飛び交っていても、目をつむり耳をふさぎ口を閉ざして戦争反対を叫ぶのが正義である、というのが我が国での一般的な「正しい国民」の姿なのだという。

間違っても教師に「どうしたら原爆が落とされなかったですか?」と聞かれて「制空権を奪われないようにする」とは答えてはいけないのである。

④いかにして人類は超兵器を愛するようになったのか?

超兵器のかたちはいずれ情報型になる。

さらに自動自律で道徳的であり客観性を備えたものになるであろう。

その超兵器は常時我々を見守り続けるであろう。

相互確証破壊は数十年世界規模の核戦争を抑止してきた。

だが相互確証破壊が無い場合は通常戦争が発生する。

だが、この先の未来、超兵器が常に我々を見守り、その平和を乱す者があらば即座に破壊する。

そんな世界が来たらどうか?

我々の世界にはじめて平和が訪れるのではなかろうか?

ただし問題が一つ有る。

そんなものに、客観性の担保など、何一つも無いということだ。

だが、我々には希望的なものがわずかだがある。

極めてシンプルな客観性、それは即ち「恐怖」それだけである。

我々を最終的に思いとどまらせるものは常に恐怖である。

正義とは常に不平等だが、恐怖だけは常に平等なわけだ。

そう、恐怖こそが最大の客観性なのだ。

誰もが恐怖するその日、人類は初めて平和を手に入れるのだ。

agwwbnr/Kenshin Hoshino