シン展望2022.05.03
✥✥✥ドーモ✠★✠オジ(‐◎✹◎‐) サン✠★✠ドーモ✥✥✥
ゴールデンウィーク?なにそれ?おいしいの?なオジ(‐◎✹◎‐) サンです。
相変わらずただのお仕事だけの日々です。
ロシアの侵攻で勢いづく改憲論 施行75年、「危機便乗」批判も
よっぽど都合が悪いんだろうね、ロシアのウクライナ侵攻。
そりゃそうで、要は「戦後」が何もかも終わっちまったんだからね。
これにて全て御破算、さぁてねがいましては、なわけです。
だから憲法だの非核三原則だの、そんなもんはどうでも良い局面なわけです。
だって、全て吹っ飛ばしたんだよプーチンさんがね。
だから考えないといけない、どうすべきなのかと。
それが自然なわけです。
隣国に平気の平左衛門で他国を侵略する国家があったわけです。
じゃあどうすんの?って考えるのが普通なわけです。
だけどそれを考えさせたくない連中がいるわけですね。
簡単なことですね。
わかるよね?
「連中」は常に自分が正しいと信じ込んでいないとまずいわけです。
まぁビョーキなんですよ。
正義マンもおぱよもね。
テメェが正しい側にいて、正しくない者を断罪する側にいたい。
それだけなわけです根本。
まぁ他にも動機はあるんでしょうけども、何よりの根本的なものの一つとしては断罪したいわけですね。
ヴィーガン騒ぎもそうなわけです。
要はお魚さんやお豚さんを食べない私は道徳的に他者より優れていると心酔できるからやるわけです。
昔々に律宗という佛教の宗派がありました。
鑑真和上が日本へやってきて四分律という正式な戒律伝えられ、その研究をするのが律宗として南都六宗の一つとして今も残っています。
時代の流れで廃れたりするのですが、平安末から鎌倉時代初期ぐらいに実はかなり盛り返していたんです。
いわゆる鎌倉新仏教よりも勢力があったと言われているんですね。
それは戒律復興運動的にそういう事が定期でおこるわけです。
なぜかと言えば、戒律守る事=絶対正義と考えたくなるからですね。
戒律を絶対化して、守れば悪いことが起こらない、そう信じてしまうわけです。
だから平安末あたりだと真剣に戒律を守れば悪い事は起きない、戒律を守っている僧から授戒してもらったら良いことが起きる。
要は絶対正義がある、それに反しなければ正しい、その正しさがあれば自分は大丈夫。
そう考えるのが一番楽なんですよ実際。
だけど戒律復興運動ってのは毎度尻すぼみになるわけです。
だって正しい事やっているのに結果が必ず正しいとは限らないからです。
戒律守るぞ絶対正しいマンで頑張ってもお釈迦様にはなれないわけです。
その戒律を憲法なりフェミニズムなりヴィーガンなりに当てはめて考えたら簡単でしょう。
自分がいくら正しいんだと信仰しても、自分一人で生きている成り立つ世界じゃないわけです。
憲法バンザイ平和大好きと暮らしていても、ある日突然軍事侵攻されるかもしれない。
男女同権性差別反対と言っても、自分もまた自覚なき差別者になっているかもしれない。
そんもんであるのが世界なわけで、だからこそ必要に応じて共同幻想を作って運用してきたわけです。
だけど、それは原理原則本質的に間違っているんだと燃やしてしまいたくなるのが人間のビョーキなわけです。