限界流夢譚2022.07.20@腕時計選択考
✥✥✥ドーモ✠★✠オジ(‐◎✹◎‐) サン✠★✠ドーモ✥✥✥
アレだアレ。
悟ったオジ(‐◎✹◎‐) サンだ。
だから、アレなんだアレ。
とりあえずアレだなアレ。
アレがナニしてアレもんなんだよコレ。
結局オジ(‐◎✹◎‐) サンは何を選ぶべきなのかってことよ。
もうわかんねーんだよオジ(‐◎✹◎‐) サンも。
ていうか最適解ってGSの9Fモデルなんだよオジ(‐◎✹◎‐) サンの場合だと。
でもそれもまた一つの状況だったりするんだよな。
だってやっぱ違うなーって状況があるんだもん。
だからチープカシオっていう選択をしてみたんだが、こいつがまだこないんだ。
まったく何やってんの、弾幕、薄いよ。
来たらわかるはずなんだよ、何かが。
閑話休題
腕時計問題が常にある。
オジ(‐◎✹◎‐) サンは高校の頃からそうだった。
腕時計に目覚めたのが高校生の頃で、あの頃は今より選択肢も少なくて不自由さがあった。
お金のことじゃない、ネットでオンラインストアでなんてまだ無い時代。
雑誌や本、そして店舗で選んで買う。
高校生なんてお金が無い。
最初は知り合いにお祝いで頂いたフォッシルのセイコースプーン風のスケルトンなやつをはめていた。
友達にえらい褒められたので、何かいい気になって、よし、もっと良いやつ買ってやろうってのが沼への入り口だったのだ。
思えばあのフォッシルで喜んで、それだけで満足していればよかった。
微妙に雑誌なんぞで無駄な知識を蓄えていくうちに、情報過多になった。
これはスニーカーもそうだし釣具でもそうだし車でもそうだし何でもそうだが、とにかく情報が増えると楽しみが増えるだけでなく苦しみが増えるように出来ているのだ。
そういうものである。
モノとは情報であり、情報とはモノである。
情報が増えることが喜びとなるが、同時に苦しみを生み出す。
ぶっちゃけパテック・フィリップのノーチラスだろうがロレックスのデイトナだろうがG-SHOCKのオリジンだろうが、どれも主体は情報なのだ。
そうならざる負えない、だからこそノーチラスもデイトナも値段が上がり続けている。
G-SHOCKのオリジンも今は安価に大量に供給できているから値段が下がっているが、それが崩壊したら値段は跳ね上がる。
そういうもんであるからだ。
その需給で苦しんだり楽しんだりしているわけだ。
だけども、そもそも、本来的に、我らが腕時計を身につけるのはなぜか?なぜ必要とするのか?という大問題がある。
オジ(‐◎✹◎‐) サンは非常にシンプルだ。
仕事のため、生活のため、である。
オジ(‐◎✹◎‐) サンはスマホで時間を確認するのがめんどいオジ(‐◎✹◎‐) サンなのだ。
だから腕時計が無いと非常に不便、不便極まりない大不便者。
必需品である。
必需品であるが故にオジ(‐◎✹◎‐) サンは苦しむ。
純粋に必需品として、ただ機能を満たすモノだけを選び使えばいいのに、それが出来ないオジ(‐◎✹◎‐) サンである。
機能不全オジ(‐◎✹◎‐) サンなのだ、もはや。
それ故にオジ(‐◎✹◎‐) サンは苦しむのだ。
オジ(‐◎✹◎‐) サンにとっての腕時計選びとは苦しみである。
そうだ。苦しみなのだコレは。
何やってんたオジ(‐◎✹◎‐) サンは。
だからこそチープカシオであり、さらなる何かである。
そう、もう何かを求めている。
一応はオジ(‐◎✹◎‐) サンもリアリストなのでプロスペックス二本をサクリファイスしてからの話では有るんだけどね。
チープカシオ、2500円のチープカシオはオジ(‐◎✹◎‐) サンにとってのオアシスなのか羅針盤なのか。
それとも哲学的な視座足り得るのか。
未だ知らず。
さりとてアルキメデスの論理であるのでオジ(‐◎✹◎‐) サンは選択し続けるのだ。
一応はさ、いろいろ調べたんだ。
セイコー宇宙怪電波からの支配を逃れたオジ(‐◎✹◎‐) サンはカシオというある意味これまたコズミックイプシロンな電波にやられているのだ。
で、オシアナスかプロトレックか、チタンだな電波ソーラーだなって塩梅でバイアンドホールド。
G-SHOCK、それも電波ソーラーな普通のオリジンをまた買えば多分いろいろ終わると思う。
ていうかアレ、凄いわ。
何が凄いってまず50gほどの軽量、そしてコンパクト、そして安価、そして電波ソーラーというある種現代で最的確な性能、そしてアイコン化したデザイン。
だからさーそれで良いんだってばよー、とオジ(‐◎✹◎‐) サンの中で少年が騒ぐが、張り倒す。
それでは収まらんもんがあるんじゃい。
なんかさーあるじゃんかさーもっとこう、なんつーのか、ほれ、面白み?っての?
なんかほしい。
腹が膨れればいいだろって米と漬物だけじゃ寂しいだろ?
おかずが欲しくなるだろ?
いや、電波ソーラーオリジンは充分おかずだよ。
おかずクラブ的だよ。
だけどさ、やはり侘び寂びというのか用の美なんだよね。
無駄が無い。
無駄がほしい。
それは情報でしかないものかもしれないけど、その情報が欲しい。
オジ(‐◎✹◎‐) サンの中の度し難いものがまだ動いめているんじゃよ。
その正体がとどのつまり何かって事がわかれば、究極の選択に近づけるのかもしれないが、近づけるわけがないんだよ。な?