映画雑感『ヘイトフル・エイト』&ついでに『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ 繋がれざる者』も
オジ(‐◎✹◎‐) サン流映画秘法採点
ヘイトフル・エイト→92点
イングロリアス・バスターズ→80点
ジャンゴ 繋がれざる者→79点
『ヘイトフル・エイト』は普通に良いな。
密室劇にした時点で三好清海入道。
で、『イングロリアス・バスターズ』と『ジャンゴ 繋がれざる者』は『ヘイトフル・エイト』から観ると踏み台感がある。
テーマ性であるとか、西部劇をどう作るかであるとか、『キルビル』や『デス・プルーフ in グラインドハウス』でのタランティーノ流映画オタク的ノリとは違うタランティーノ作品を作るという点でいろいろあったんだろうなって。
『デス・プルーフ in グラインドハウス』が良すぎたよな。
あれは良すぎたんだ。
~以下過去雑感~
忙しくて観に行けなかった『ヘイトフル・エイト』を観た。
クェンティン・タランティーノの映画バカ一代渾身のこだわり詰め込みの一作という感じ。
そのこだわりとは、まず65mmフィルムでの撮影なのだが、オジ(‐◎✹◎‐) サンのように家で観る層にはとりま関係ないというか日本ではこの65/70mmフィルムを活かせる上映が出来る映画館がないとのことで、とりまとんでもないこだわりなのだという事だけが大事。
次に音楽がエンリオ・モリコーネ大先生であること。説明不要、言わばゲーム音楽で言えばすぎやまこういち大先生、漫画でいえばちばてつや大先生とでも言えばわかりやすいだろうか。
つまりクェンティン・タランティーノ、タラちゃんのこだわりポイントがとんでもなくこだわりすぎてちょっと凄すぎ映画なわけですね。
ただそれだけではこの映画が何かってのはわからないわけですね。
ストーリーは南北戦争後のアメリカで賞金稼ぎと取っ捕まった女とその仲間の話で、密室劇となっている。
タランティーノの密室劇なので当たり前のように面白い。
そこらへんはもう行列のできる老舗豚骨ラーメン屋みたいなもんであるわけです。
どの感想や評論でも、異常なまでのタランティーノのこだわりへの賛辞であるとかでまとまってます。
まぁそうだろうと、そりゃそうだろうというところです。
でも一部タランティーノファンからは厳しい声があるわけですね。
そりゃそうです。
『レザボア・ドッグス』から『キル・ビル』あたりのファンからしたら『イングロリアス・バスターズ』以降って違和感があるわけでしょ?
頭ではわかってても何かタランティーノぽさが違う感じという。
逆に『ヘイトフル・エイト』は『イングロリアス・バスターズ』と『ジャンゴ 繋がれざる者』と比べたらどうなのか?って考えると個人的には超良作のタラちゃんぽさ満載のおもしろこだわりすぎ濃厚豚骨映画です。
そこですねそこ。
要は比較対象した時の話です。
今作から入るとどうなんでしょ?
なんかやたら濃厚な豚骨なんだけど口に入れると飲みやすいスープ感だし麺は太麺で食べにくいけどちゃんとした麺だし具材はそれなりに洗練されているよね量はやたら多いけどって感じになりそうですよね。
タランティーノ作品とは、タランティーノぽさとは、言い換えて考えれば「なぜタランティーノがラーメンを仕込むといつも濃厚豚骨になってしまうのか?」ってところです。
まずライムスター宇多丸師匠が言うところのサンプリング文化、要は過去の膨大な映画文化からタランティーノ好みを引っ張ってきて上手いこと使うところがスープのベースになってくるわけです。
しかも引っ張ってくるのが超有名作というのじゃなく、あくまでタランティーノ好みの作品の中の一番濃いところなわけですね。
鶏ガラでも昆布でも煮干しでも無い、野性味を感じさせる豚骨ですよ豚骨。
そんな豚骨の旨いところを引っ張ってきて上手いこと出汁を取るわけで、だから映画好きほど「わかる」という味のスープになるわけですね。
だけどそれだけじゃ売れないというか下手したら煮込みすぎて濃厚というよりクドいだけの三流同人映画的になりかねないので、出汁の取り方の巧みさがタランティーノがタランティーノである証左なわけです。
それが『デス・プルーフ』までのタランティーノ映画の面白さと絶妙なダサカッコよさだったわけです。
で、良くも悪くも一つの「文化」=「ムーブメント』だったわけですよタランティーノ作品って。
タランティーノ作品自体が文化でありムーブメントであり、そのフォロワーを生み出しまくったわけでしょう。
影響与えまくりなわけですからね。
それは映画作りだけでなくて、物の見方や価値観にも一定の影響を与えている。
オジ(‐◎✹◎‐) サンも『レザボア・ドッグス』から『ジャッキー・ブラウン』までの影響受けまくってます。
特にオジ(‐◎✹◎‐) サンの歴代ナンバーワン映画はいつでも『ジャッキー・ブラウン』です。
『ジャッキー・ブラウン』は決して評価が高いわけじゃないですが、オジ(‐◎✹◎‐) サンの中では最高の映画で、人生の三分の一ぐらい影響されてます。
じゃあそんなオジ(‐◎✹◎‐) サンが『ヘイトフル・エイト』を観たらどうなるか?
それは同時に『イングロリアス・バスターズ』以降はどうなのか?って事ですね。
同じ濃厚豚骨なんだけど、味わいが違うのね、やっぱし。
仕方ないじゃないですよ、それは。
今更マドンナスピーチが恋しいわけじゃないけどさ、観たいのはここまで上手いラーメンなのか?ってところだったりします。
そう、ひたすら濃厚だけど臭いぐらいの豚骨感が人気だったラーメンが、妙に洗練されてきちゃって臭さもだいぶ薄れちゃって誰でも美味しくいただけそうな感じになったのが『イングロリアス・バスターズ』以降かなって思うんですよ。
『キル・ビル』や『デス・プルーフ』まで確実にあったグラインドハウス魂というのか、B級C級古かろうが新しかろうがなんでもござれ俺が好きなものを作るんじゃい感というのか、ヒッチャカメッチャカ感というのか。
でもそれだけじゃ駄目だし、それを続けるのがタランティーノという才能と努力のやるべき仕事じゃないってのはわかってます。
タランティーノ脚本や演出が進化している、見せ方作り方が変わっているってのはわかっています。
だけど、あのわざとらしい豚骨味が好きだったんだという面倒くさい古参のような気持ちって消えないんですよね。
でもそれを言えるのも幸せな事ですねファンとしては。
で『イングロリアス・バスターズ』の雑感としては、面白い部分と面白くない部分の差が何?ってのがあります。
密室での緊張感、第三章や第四章あたりの会話劇は素晴らしいですが、全体的に『パルプ・フィクション』より興行的に成功した理由がわからないぐらい冗長さを感じさせるストーリー展開にも感じました。
役者は兎にも角にもクリストフ・ヴァルツに尽きます。
ブラピは少しもったいない感じですね。
クリストフ・ヴァルツの演じるランダ大佐はタランティーノも認める傑作の悪役で、悪役の中の悪役でありながらIQが高い、でも憎めないというのか主役だが野蛮で下品な感じのブラピより応援したくなる感じはクリストフ・ヴァルツという役者の味なのでしょう。
そこらへんの作り方と雑なラストがタランティーノぽさがありますね。
観ていると確実にタランティーノ作品なのですが、密室劇の緊張感がとにかく癖になる感じです。
そこだけ取り出したら濃厚というよりドロッドロの天一こってりで麺大盛りのあのスープが無いじゃん感みたいな。
密室劇だけだともはや油たっぷりにんにく肉マシマシまぜそばでしょう。
で、『ジャンゴ 繋がれざる者』は『イングロリアス・バスターズ』のヒットの次作という事ですが、なんかこれが一番個人的タランティーノだけどタランティーノぽくない要素も打ち込まれたある意味問題作だという雑感です。
『イングロリアス・バスターズ』で目覚めたタランティーノ的映画製作技術の一つがアンチ人種差別を物語展開に使いまくるという事です。
例えばナチスドイツを悪ではない、という事は御法度で人種差別主義者となるわけでしょうが、その逆だとアンチ人種差別となる。
ナチスドイツは人種差別主義者なので悪であり、悪に対して正義としてのアンチ人種差別主義となる主人公は善となる。それがイングロリアス・バスターズの非ナチス側のキャラの設定となります。
単純な勧善懲悪形式ではありますが、注意深くキャラ設定を観ていくと善である主人公は悪であるナチスドイツに対しては拷問も何をしても良いという考え方です。
なので構造的に意図的に善悪を単純化しつつも暴力性というもので複雑化がされている、そんな中でランダ大佐という善悪で言えば悪なのに妙に憎めない台詞回しの主義も何もない利己主義者が物語を非常に面白くしています。
それが『イングロリアス・バスターズ』の最大の魅力というのが面白いところですが、じゃあ『ジャンゴ 繋がれざる者』ではどうなのか?
南北戦争以前の南部における黒人奴隷と差別というものが『ジャンゴ 繋がれざる者』でのアンチ人種差別の要素となるわけです。
差別する白人VS差別される黒人なのですが、当然そんなに簡単じゃない。
今作でも大活躍なのがクリストフ・ヴァルツであり主人公の一人としてドクター・キング・シュルツとして賞金稼ぎになっています。
構図としては差別主義者の白人VS黒人なのですが、シュルツは一貫してアンチ差別のドイツ人です。
それが物語を動かし、物語を終わらすことになるのですが、この善性が物語に面白さとダメさの両面をもたらしています。
シュルツが救い出して相棒とするジャンゴが黒人でアンチ人種差別主義者の「ヒーロー」となります。
シュルツとジャンゴの相棒モノで、その点はすごく良いのですが、この二人のキャラ設定のマズさがどうも気になります。
脚本は濃厚こってり豚骨スープなんだけど無駄だけど面白げな台詞長回しはあまりなくて、緊張感がある場面が多いです。
とにかくシュルツがよく喋るんですが、下品さが無い。
シュルツは善人でよく喋ってやたら強い、というタランティーノ作品では最強クラス感のあるキャラなのですが、なんせ「なぜ?」がわからないキャラです。
ほんの少しの説明があれば、まさに最高のキャラとなるのですが、その説明がないから前作の悪役ランダ大佐ほどのキャラではない。
なんで歯医者から賞金稼ぎになったのか?
その理由が説明されていないので、極めて善人だけど倫理観に問題のあるドイツ人という枠になってしまっているんです。
ジャンゴの師匠としての味もあるんですが、なんか見せ方が弱いです。
だからキャラとして強いようで弱い。
そしてジャンゴがその影に隠れてしまうので、さらに弱い。
そこらへんはタラちゃん一流の「らしさ」もあるのでしょうが、凡人の当方はもう少しシュルツをわかりやすく説明してもらいたいし、していたらかなり印象変わるんですよね。
で、対する「悪」に雑多な「アホで間抜けなアメリカ白人」が登場します。
そこらへんのキャラ設定も雑な感じがあって、例えばビッグ・ジョン・ブリットルというお尋ね者でやられ役の白人がいますが、聖書をわかりやすく抱えてムチで黒人奴隷を痛めつけようとするのですが、どう考えても雑なキャラ設定ですよね。
そこらへんがタラちゃん一流の設定なのかもしれませんが、わかりやすくした事で雑に感じるんですよね。
逆にキャンディ農場の雇われ白人に一人だけ女性キャラがいてカメラワーク的に確実に目につくのですが、物語的になんの意味もないキャラで、何か意味があるだろうと調べたら『デス・プルーフ』でおなじみゾーイ・ベルでした。
そこらへんタランティーノのタランティーノぽいところですが、逆にこのアンチ人種差別主義の勧善懲悪という物語上でタラちゃん的小ネタみたいなノリは味付けとしていかがなものか?という感じなんですよ。
何かこれは意味があるのか、または面白いだろうとわざとらしく狙っているネタだってのはわかる小ネタ、例えば襲撃シーンのヴェルディのレクイエムなんかもそうです。
『イングロリアス・バスターズ』だとギリギリ違和感を感じさせないで調和方向に向かっていた味付けが、『ジャンゴ 繋がれざる者』だと違和感がどうしても出てきます。
西部劇だと思って観ると違和感が出まくる味付けも多いです。
実際は「南部劇」なのを差し引いても、自分の中で思う西部劇とは実質的にかけ離れていっている感がどうしてもあるんです。
黒人映画的なものだからじゃなくて、味付け全般がそうであって、それはわざとも含めて考えてもどうしても違和感になって残ってしまう。
エンリオ・モリコーネの素晴らしい楽曲の使い方や音楽全般は『イングロリアス・バスターズ』よりカッコいいのですが、個人的にはどうもタランティーノぽい味わいとも違う印象でした。
なんか書けば書くほど『ジャンゴ 繋がれざる者』があまり好きではない感になりますが、まぁ結果論的にそこだけだとそうなります。
だけど救いというのか、レオナルド・ディカプリオとサミュエル・L・ジャクソンという御大二人の存在ですね。
とにかく良い台詞と演技。
この二人のクセモノ食わせ者感が最高で、この二人が居なかったら映画は終わってたというかシュルツを完全に食っちゃいますからね。
あのディナーのシーンはこの映画の中で最高に緊張度が盛り上がるんですよ。
なんせ身体張ってますからねディカプリオ様が。
だから結果論的に良い味になっているんですよ。
でもそこからのラストまでの展開がまた良い味ではあるんですが、手放しでタランティーノ最高!!って言えるのかお前って言われたら微妙っすとなりますのが『ジャンゴ 繋がれざる者』ですね。
『イングロリアス・バスターズ』の方が純粋に面白さで言えば良くってタランティーノぽさが強いです。
じゃあ『デス・プルーフ』と比べると、両方とも一度観たら一年ぐらいはもう良いかなってところです。
ていうか『デス・プルーフ』は傑出して良い出来で、これこそタランティーノだというのがあります。
個人的な趣味趣向で『ジャッキー・ブラウン』が好きですし『パルプ・フィクション』のカルトさが好きですから『デス・プルーフ』は少し弱いものの、『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ 繋がれざる者』より断然良いだろって思うんですが、興行成績ですよね大事なのは。
なんで『デス・プルーフ』は興行成績悪かったのか、節子がホタルの死を疑問に思うより強く疑問に思うオジ(‐◎✹◎‐) サンです。
長くなりましたが、で、で、『ヘイトフル・エイト』に戻ります。
結果で言えば『ヘイトフル・エイト』は『イングロリアス・バスターズ』と『ジャンゴ 繋がれざる者』であ~あ~と思ってたオジ(‐◎✹◎‐) サンの心を満足させたわけです。
『デス・プルーフ』に比べたら薄味濃厚豚骨と思っているんですが、じゃあそれが悪いのかって言えばそうじゃない、豚骨として薄くなっている感はあっても味が薄いんじゃない。
むしろ濃い部分は濃い、それがキャストの濃厚さと徹底した密室劇ですね。
緩慢さがどうしてもある馬車のシーンで、もうちょい馬車が短いと印象は変わりますよね。
だけど駅馬車ですからね。
無いと駄目。
で、メインはやっぱし密室劇という事で、もうこの緊張感と台詞回しの素晴らしさは良い。
物語の展開がとにかく読めないようで想像はつく感じがタランティーノぽさにもなってますが、3時間近い物語でも『ジャンゴ 繋がれざる者』より圧倒的に早く感じましたね。
音楽もかなり良い、ていうか凄い、さすがエンリオ・モリコーネ大先生。
『ジャンゴ 繋がれざる者』より音楽の使い方はとんでもなく良い。
映画としての完成度は圧倒的に良いんですよ。
脚本が凄いってのも良くわかります。
だけどリンカーンの手紙がいまいちピンとこない。
結局リンカーンの手紙は何を意味するのかって調べて考えてますが、映画での説明以上のものが思いつかないんですよね。
希望的なラスト、という観方も正解なのでしょうが、何かひっかかる感じですね。
あとマニックスが鍵となるのですが、第三章以後のマニックスはなぜ?な言動が多いです(ていうか脚本的に不自然すぎるんだよなマニックスの心胸の変化と変化しないところって)
南北戦争の知識に乏しいオジ(‐◎✹◎‐) サンですので、感覚的なところでわかりにくい事も多いですね。
『ジャンゴ 繋がれざる者』もそうですが、ごく普通の日本人には感覚的にわかりにくさはあります(そういう意味ではタランティーノ作品はそういう文脈が多いけども)
だけど細かい事はまた観て考えたら良いのであって、とりあえず『ヘイトフル・エイト』は傑作だと思いました。
だけど傑作としても『ジャッキー・ブラウン』のように毎日観ても良いという感は無いです。
なんだろうか、凄く良い出来の傑作なんだけど個人的趣味嗜好だけじゃない理論的な部分で何かひっかかるところがあるんですよね。
そのあたりは『イングロリアス・バスターズ』と『ジャンゴ 繋がれざる者』も似ていて、今までのタランティーノ作品だったら気にならなかった領域が気になってくる。
それは作品自体の質が大幅に変化した結果なのでしょう。
で、その変化が与える影響が違和感を生み出している。
そう個人的には感じていますが、三作品で考えていくとキリがないので今宵はここまでにしとうございます。
相変わらず思いついたら追記していきます。