展望2020.04.26
A「経済よりコロナ対策を優先しろ」B「失業率上昇で自殺者が増加する、経済を優先するんだ」←どっちが正しい?





新型コロナウイルス騒ぎも中盤戦といった模様。
一つだけ簡単な事実はありますが、頭の良い人ほど新型コロナウイルスにかかりたくないって事です。
「科学的・医学的・経済学的・統計学的に考えて新型コロナウイルスなんてたいしたことないよ、騒ぎすぎた」という言説は、なるほど賢いなというバックボーンがあるようにみえますが、じゃあアンタはコロナウイルスにかかりたいんか、かかりたくないんかって聞いたら誰だってかかりたくないわけでしょう。
つまりコロナウイルスというものが実際問題どれほどの毒性でどれほど危険なのか危険でないのかなんて本質的には関係ないんですよ。
かかったら死ぬかもわからん、死ななくても何かようわからん変化があるかもわからん、どうも遺伝子的にようわからんらしいぞ、かかったら村八分になるぞ、そういう怖さが新型コロナウイルス・COVID-19・武漢ウイルスにはあるわけですよ。
それは後付サクサクなものであって、本質的なものではないのかもしれませんが、後付でも1翻乗ればつまらん手が満貫になるわけです。
これが新型コロナウイルスの「本質」なのだと思いますよ。
どれだけ頭のいい事言っても、新型コロナウイルスの本質は頭の良い人の真逆を行くわけです。
逆に頭の良い人ほど新型コロナウイルスが怖くて仕方ないわけですよ。
自分の頭の良さというものが、実はあまり意味のないものだとなってしまいますからね。
それって頭の良い人からしたら恐怖ですよ。
価値観がひっくり返るわけですから。
まぁ、でも、コロナウイルスは怖くないぞって言う頭の良い人の言う正しさはパチ屋に並ぶおっちゃんが正しさの現象なわけですけどね。
同時にコロナは怖いぞという頭の良い人の言う正しさの現象は買占めだったり自粛厨であったりすわけです。
現実をつらつら観ていくと、もう実証されている気がしますね。
人間って結局は頭良くない説が。
人間って実は頭が良くない、それは人間の本質であると私は思いますが、それを認めてしまうと仏教における日本浄土教学の根本をなす「凡夫観」を認めざるおえないわけです。
凡夫ってどういう事かと言うと、仏になれないという事です。
つまり正しく物事を観ることも判断する事も思考する事も出来ないという事なんです。
つまり人間の言葉というものは不完全であると言う事でもあります。
現代文明の根幹は言葉(数字)が正しいという前提によって成り立っているわけです。
それが覆るのが日本浄土仏教思想なのです。
だからヤバイぞってなって、いろいろ自主規制やら誤摩化やらしてきたわけです。
だけど現実的には我々の判断は間違いだらけだって事実があるわけです。
顕著なのは投資の世界で、我々の思考と判断はメンタルに左右されるからAIやら機械的な積立投資には勝てないってなるわけでしょう。
歴然とした数字の世界ではすでに我々が凡夫であるという事の証明がなされているわけですよ。
だけどそれが実相だと認めた瞬間に、築き上げてきた「何か」が壊れてしまう人がたくさんいるんですね。
新型コロナウイルス君はそれを有無を言わさず壊す可能性がある、または壊す「道具」となる。
だから今の世界的な「混乱」があるわけです。
混乱って要するにやられ放題であると同時にやりたい放題なわけですよ。

安倍総理がヒトラーだみたいな言説が実に馬鹿げてるのが今回でよくわかりましたね。
独裁政権を目指すなら、こんなチャンスないんですけどね。

私も氷河期世代なわけですが、氷河期世代って何だって言えば理論値と期待値とが嘘だッ!!!な世代なわけです。
現実値が理論値と期待値を常に下回るわけですよ。
運が良ければ理論値に近づくとは思っていますが、それはあくまで運の善し悪しで決まるだけで、理論値なんてもんはボーダー理論で何百回と転生してガチャを回し続ければ数字に近づくだろうなって考え方が多いんじゃないですかね。
確実に我々の年代より上の年代はパチンコで言えば手打ち時代から羽根物、権利物時代の感覚なんですよね。
我々の年代になるとそれが完全にCR機の新基準以降ぐらいの感覚ですね。
たまに大当たり連チャンがあるけど、だいたい負ける、平均すると完全に負けだろうって感覚です。
だから勝負を上手く降りたもん勝ちになるわけです。
勝負して勝ち続けても、理論値が期待値を超えることは無いってわかっていれば尚更ですね。
わかってない人は声をでかくして勝った負けたで大騒ぎなんですが、わかってしまうといかに逃げるかになるわけです。
びっくりするぐらい安くはならんぞ。
それやったら相場壊れてBMWみたいになってしまう。
逆にそれ狙いで買い叩きたい奴がいる限り、相場は意外と崩れないもんです。