東北一周紀行2006@第四章青森離愁篇
十和田湖から北へ。
目指すは恐山菩提寺だ。
十和田湖を出てしばらくするとあたりは真っ暗になった。
青森へ入ると極端にスーパー銭湯などの施設が減る、コンビニ、ファミレスもだ。
とは言えども、まぁ男みちのく独り旅、あわてる事もない。
車には中学生の頃から愛用している少々魚臭いクーラーボックスにドリンク類は常備しておる。
食料は伝統のカニパンにビーフジャーキーもある。
なぜかビーフジャーキーが大好きで、こういう旅のために常備しているのだ。
ていうか生粋の名古屋人なので実はコメダが世界中どこでもあると思いこんでいる悪癖があって、東北だってコメダぐらいあるだろうと思いこんでいたのだ。
スガキヤとコメダなんてアフリカに行ってもあるだろうと思っているのが名古屋人である。
ていうか愛知県って車移動での総合的なインフラの発展具合がほぼ日本一という異常地帯ってのもよくないね。
道を走れば何でもあると思い込んでしまうのだ。
そりゃ岩手の海岸沿いとかは何もないのだろうけど、国道で市街地近ければ24時間何かしらのもんがあるだろうと思い込んでしまっている。
とは言えだ、当方も釣りやら登山やらのアウトドアボーイであったので、自給自足を基本としているので、旅となればとりあえず食料と水分は車に積んでおくのだ。
なので何かしらのもので腹ごしらえをして、どこぞで一晩をあかした。
もう覚えていないが、そうしたのだろう。
朝6時には恐山菩提寺にいた。
ここが一応の最終目的地とも言える。
かの有名な恐山、恐山ル・ヴォワールである。
さすがに感慨深いものがある。
いや、厳密にはどうしても来たいとか観たいとか、そういうのではなかったんだが、なんつーのかこれ以上無い目標であったのだ。
これ以上ない存在、それが恐山菩提寺。
これだ、こういうのが観たかった。
恐山菩提寺の温泉。
知らないおっさんに「入ったら?」(ニコニコ)と言われたんだけど、そう言うおっさんは入りたくないらしい。
なんで勧めてきたのか謎。
ぐるりと一回りする。
恐ろしくきれいな湖もある。
そして青森の景色は素晴らしい。
これは青森を走っている時にずっと感じていたが、人間様より自然が圧倒的に強い。
北海道もそうなのかもしれないが、北海道の事はよくわからないのでとりあえず青森の話な。
青森は自然の方が人間様より強い、そう感じる。
それは良い悪いというより事実だ。
だからこそ恐山菩提寺の持つパワー感が生まれるのだろう。
自然とは生と死であり、生と死とは自然そのものである。
ここには生と死があるのだ。はっきりと。
生と死、つまりこの世と常世、厭離穢土欣求浄土、あっちとこっち、その中間地点のような空間である。
今ならよくわかるんだけど、きっと走って走ってここまで往かないといけなかったんだ。
死、というものの色が濃い、ここまで走る事に意味があったんだよな。
『みちのくひとり旅』も「死」が一つのテーゼだ。
その「死」の向こう側に「生」がある。
厭離穢土欣求浄土とは、この世を離れてあの世の極楽浄土へ往生したい願いのことだが、単純な生き死にだけではなく、生きている間に往き生まれる事でもある。
人間の一生とは、往きて死んでまた往きての繰り返しなのだ。
特に僕は、こうして恐山菩提寺まで往きて死んでをやらないといけなかったのだろう。
さて、さて、どうするのか。
ここで僕は往生したぞ。