東北一周紀行2006@第一章会津若松青春篇
今から思えば2006年とは狂っていたな。
インド、富士山、そして東北である(実はこの間に下呂にも遊びに行っている)
夏の終りの「自由」である。
8月の25日から30日にかけて日の丸弾丸撃ちして止まん東北一周を断行したのだ。
なぜか?
わからん。
確か恐山がキーとなったのだ。
そう、恐山である。
恐山ル・ヴォワールである。
結の論から言えば別段許嫁がいたわけでもなんでもなかった(知らんおっさんには話しかけられたが)
とりあえずだ、今から思えば有り余る体力と足らない知力となんとなくの情熱の生み出した3000キロの旅路であった。
いきなりだが、とりあえず会津若松市の風景である。
何でこの写真なのかは不明。
恐らく良いと思ったんだろう。
旅のお供はコニカC35とGR10である。
助さん格さんである。
僕は24日に名古屋を出た。
二年前に日光まで走っているのだが、今回は名古屋~長野間を19号線で行くことにしたのだ。
19号線、この響きだけで酒を飲んで語り明かせるのではないか?
名古屋から長野を結ぶ国道だが、なんせ元は中山道である。
旅情がないわけないじゃないか。
無論、以前の飯田街道も最高だがな。
だが、相変わらずほとんどが夜の旅路である。
風景も何もない。
だが、それが良い前田慶次郎である。
駆るは松風ならぬコロナプレミオである。
安心の150馬力のFFセダン。
走りやすく、不安感もない。
以前のアレックスも良かったが、コロナプレミオはさらに倍付けぐらい良い。
なんというのか、落ち着いて運転できる。
没入感がある。
空間設計が絶の妙なのだろう。
名古屋から中津川を越えるまでは車線が減ったり増えたりで走りにくいのだが、木曽まで来ると基本が一車線となり走りやすい。
トラックの車列に並んで走れば良い。
気がつけば長野県である。
長野県から会津若松市までどう行ったのか?
肝心な事は相変わらず忘れる男である。
ひたすら山道であったのは覚えていて、さらに真夜中に川沿いの山道で休憩したのを覚えている。
朝8時か9時ごろに会津若松市へ入ったのは確実である。
で、上の写真はいつ撮ったのか?
南側、つまり121号線を北上して会津若松市へ入り、そして鶴ヶ城へ行ったのだ。
そして北上して猪苗代湖へ抜けた。
だからお城を観た帰りなのだろう。
ピントが・・・・
下手くそなのはご容赦を。
コニカC35にまだ慣れていないのか?
思わず撮ってしまったのだろう。
どうも僕は城が好きな割に城の写真が下手なのである。
だが、鶴ヶ城は良い。
詳細は常識であろうが、なんせ戊辰戦争である。
これは日本人なら常識である。
故に詳細は省く。
よくわからないが、撮ってみたかったのだろう。
C35はカラーでも実に良い。
だけど、やはりどこかノスタルジック。
ジャーニーコニカ、まさに旅のカメラ。
これ一台だけの方が良かったかな。
向羽黒山方面。
なんか良いな。
今だからそう思えるね。
あの頃は違ったのかもしれないけど。
たぶん飯盛山方面じゃないかしら。
脈絡もなく撮らないでしょうからね。
合掌。
よくわからないけど撮りたかったのはわかる。
ちゃんとピントOKなのもありますよ。
旅の写真なんだから、記念写真で良いんです。
色合いが良いよね。
C35のヘキサノンって色合いが実に良い。
記念写真です。
暑いのでぼちぼちと出るとしますか。
猪苗代湖。
もうこの遊覧船は稼働していないみたいだ。
ここから海を目指す。
実は恐山菩提寺を目的地にはしているが、道中がとにかく行き当りばったりなのである。
どこで何を食べたのかも思い出せぬが、とにかく金も無いので車中泊は確定である(この時点ですでに一昼夜)
だいたいコンビニで安いパンと飲み物を買っていたのだろう。
それはなんとなく覚えている。
学生の頃から金がないので、だいたいカニパンを食べたりしていた。
この頃は少食で、カニパンと魚肉ソーセージぐらいで満足であったのだ。
一食300円もいらぬ男であった。
だがタバコとコーヒーだけは手放せないのである。
今から思えば車内で電化製品を使えるようにして、安い電気ケトルの類いでも使えばもっと節約できたのだろうが、この頃は何も考えていない。
よくわからないが、東北一周してやろうって気合だけであった。
それが後の後悔につながるのである。
旅は続く。