映画雑感

映画雑感『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

これでようやく観たい映画とりあえずだいたい観れたかも。

あ、『ジョーカー』がまだだ。

他にもいっぱいあるや。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でした。

クエンティン・タランティーノ監督の9作目で、もう引退がどうとか。

もったいないですねタラちゃん。

リドリー・スコット監督を見習って80歳ぐらいまではやるべきでしょ。

生涯現役映画バカ一代じゃないですか。

何言ってんですがタラオは。

それとも駿方式?

引退詐欺?

ま、でもね、やり尽くしたってのはあるのかもしれませんしよくわからないですが、もっと作ってよタラちゃん。

今作は一言で言えば一言で言えないのですが、『ヘイトフル・エイト』がまた凄い映画にも思えてくるし、この映画は50年後に凄い意味を持つんだとオジ(‐◎✹◎‐) サンは予言します。

ワンス・アポン・ア・タイム、とは昔々とかおとぎ話の導入であり、かつてのハリウッドが今となってはおとぎ話であり、このストーリーがおとぎ話でもある、もしもの話という事でだいたい良いでしょう。

それで良いんですよね、たぶん。

なまじわかったような事言えない浅いオジ(‐◎✹◎‐) サンなので浅い雑感だけ書いておきます。

映画全体が細かい解釈というよりも、全体的に本来あったおとぎ話ではないチャールズ・マンソン事件に対しての意味と、この映画内での意味とを考えていくのが良いかと思いました。

観ていて感じる気持ちの良さと、不思議な不気味さと、幻想的な幸せの時の最後を描いた意味は、やはり50年後や100年後に出てくると思いますよ。

そういえばタランティーノ作品では当然ですが、喫煙シーン満載というか、とりあえず吸ってます。

『刑事コロンボ』初期が時代的にほぼ同じですが、確かにアメリカのロサンゼルスあたりの喫煙率って高そうではあります。

だけど、ここまで目につく形で映すのも意味があるわけでしょう。

なぜタバコなのか?

そういえばBad Appleはタランティーノ映画でお馴染みですが、不味いとのことですがあれ不味いんかい!ですね(昔に何かのサブカル雑誌でBad Appleの劇中で使われている中身と味について書いてあったけど忘れた)

で、タバコは何を表現したいのか?

ノスタルジー?自由?時代?

すべてを内包しているのでしょうし、さほど意味がないのかもしれません。

1969年のカルフォルニアドリーマーですからねアミーゴ。

意味があるようで無いというのもまた意味ですよアミーゴ。

音楽はもう説明不要の領域ですが、神クラスの方々の解説を読んでみたいですね。

実在の役者などの登場にも意味があるのでしょう。

深い考察はあちこちでされていると思いますが、オジ(‐◎✹◎‐) サンはこの映画は素直に好きです。

いつか子供に観せたいなと思いましたまるです。

今宵は雨、外は嵐、とりまここまでにしとうございます。

以下追記順次

色々と思いついたので書く。

ストーリー展開が非常にストレートわかりにくさは感じませんね。

それより映像、特に構図がキレイですね。

構図、音楽、車、景色。

それらを残したいって気持ちはわかるんですよね、なんとなく。

もう取り戻せないあの日あの時ですよ。

50年代の古き良きと表現されますが、要は戦後アメリカのキラメキが50年代なわけで、その良き名残りが残されていたのが69年までのアメリカとも言えます。

70年代はアメリカの没落の始まりでもあり、ベトナム戦争というものがアメリカを象徴していきます。

今作は言わば年代的なもの、政治経済カルチャー全てひっくるめて観ると面白いわけです。

戦後とは年代の時代でもあり、年代で考えないとわかにくい事が多いですね。

それを紐解くにはやはり1969年というのがやはりひとつの鍵なのでしょう。

1969年そしてチャールズ・マンソンです。

そこらへんも散々考察されていますね。

オジ(‐◎✹◎‐) サン的にはやはり戦前生まれと戦後生まれ、そして団塊世代とそれ以後というもので考えていきたいですね。

映画ではリック・ダルトン&クリフ・ブースってヒッピー世代以前のキャラクターですね。

スティーブ・マックイーンが1930年(昭和5年)昭和一桁ですね。

リックもクリフも同じぐらいなのでしょう。

ヒッピー世代ってのは大雑把に言えば戦後の団塊の世代なわけです。

オジ(‐◎✹◎‐) サンの死んだ父親がそうでしたね。

このあたりの世代間の差異が戦後の出来事や文化にかなり関わっているわけで、今なぜ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』であるのか、というのが大事ですね。

1969年でアメリカは大きく変化していった、その原因の一つがヒッピームーブメント&フラワーチルドレンとその終わりということです。

サマー・オブ・ラブでまさに世界最高の価値観の如きものを夢見て、1969年のウッドストック・フェスティバルでまさに最高潮を迎えたムーブメントは同じくオルタモントの悲劇以降に現実とぶつかりすり減って消滅しているくわけですが、この『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のテーマの一つシャロン・テート殺人事件つまりチャールズ・マンソン事件全体は理想の生み出した現実であり、オルタモントの悲劇と並んで理想に対する現実として暗い影を落とし続けるわけです。

各種評論で指摘されているのが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でタランティーノ監督はその現実に対する復讐をしたんだというものです。

『イングロリアス・バスターズ』以降の作品はいずれも現実に対するフィクションの復讐であります。

シャロン・テート殺人事件に対する復讐劇が愉快で人間味があってどうしようもないけど頑張っている主役二名そのものなのでしょう。

ストーリー展開で言えば、架空の主人公宅に押し入ったヒッピーの殺人犯達は架空のどうしようもなく人間臭い主人公二人に散々に打ち負かされる事でシャロン・テートを救っているわけです。

それがタランティーノ流の復讐劇だったわけでしょう。

レオナルド・ディカプリオもブラッド・ピットも本当に素晴らしい演技で何も言うことありませんですね。

味がありすぎて、良いんですよね。

で、主人公二人はおそらく昭和一桁、戦争を知っているけど戦後の人間でヒッピーのような無想的な理想論とは無縁であったり完全に現実主義的なわけですね。

現実主義的だからこそリックは悩み、クリフは達観的になっているわけでしょう。

そしてタランティーノが宇多丸師匠のインタビューで答えていたようにシャロン・テートを墓から救いたかったというように、現実を幸せになり生きているシャロン・テートは現実で殺され「哀れな被害者」というレッテルの中で存在し続けるわけです。

その虚構的な存在を救うために虚構を使うというのがタランティーノ一流の映画なのですね。

1969年というのは日本では『男はつらいよ』が始まった年です。

『男はつらいよ』は一貫して救済の話ですね。

タランティーノ監督が映画で救済を求めたように、山田洋次監督もまた映画で救済を描いたのでしょう。

日本もまた安保闘争から学生運動、そしてあさま山荘事件からよど号ハイジャック事件という理想と現実、理想が現実にすり潰された現実のみが残ったわけです。

そんな時代にひたすら救済の物語があり続けたからこそ、『男はつらいよ』が不朽の名作となったわけですね。

以下続く

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agwwbnr/Kenshin Hoshino