展望2021.08.05
✥✥✥ドーモ★オジ(◉Θ◉)サン★ドーモ✥✥✥
本日は仕事で一日ヴォクシーでした。
快適ですねヴォクシー。
高速道路も2時間ばかり走りましたが、快適です。
快適だから疲れない系です。
S-Crossやスカイラインとは違いますね。
S-Crossやスカイラインだと走りの良さであるとか、乗り味が良いとか、シート等とのマッチングが良い等の理由で疲れにくいという感じです。
ヴォクシーはあくまで快適、だから気持ち良い、だから疲れない。
相性なのか良い玉なのか、その両方なのかですね。
80系より70系の方が好みってのは乗り比べて確実に言える事なんですよ。
80系はエスクァイアHVでしたが、70系ヴォクシーの方が断然好みです。
だから新聞記者がまともだってのはただの思いこみなんですよ。
だからマスゴミガーなんて怒ってみても無意味です。
蚊に刺されて蚊が刺すなんてありえないと怒る奴はいません。
もっとはっきり言えば、テメエで正義だの自由だのナニだのと概念を正しいと信仰していると自慢気に語る輩にまともな奴なんていません。
なぜなら人間社会における正義だの自由だの=共有されるフィクションなわけです。
あくまでフィクション=暫定的なモノなわけで、本質的に存在するわけじゃございやせん。
人間の失敗は暫定的なものが本質的に存在すると思い込んで発生しました。
そういう事にしておけば丸く収まるよねぐらいのものに本質的な価値を見出そうとしたわけです。
ジャポンのマス・メディア様方の大好きな正義と自由、そしてその守護者だぞというつまらん自負は、言わば自らがその守護者なりの力を持っているぞという自負がそもそもあるから発生する誤解でしょう。
だから権力者は常に正義と自由を脅かす悪であると手前勝手に認定して戦ってるんだという幻想の中で生きているわけです。
その象徴があのスットコドッコイなゴミ映画でしょう。
本来新聞は情報の伝達の手段であったのですが、なぜか手段が置いてきぼりにされてしまったわけです。
それは彼らが自分たちは正義であると信じ込んだ結果でしょう。
情報の正確さより正しさが重要となった時点で新聞というメディアは壮絶に自死したわけです。
正しくなければ自分たちも正しくない、つまり悪となってしまうわけです。
気がつけば自分たちが正しいと言うための記事をクリエイトし始めたわけです。
だから現実において不具合が発生しまくるわけです。
例なんていくらでも出来ます。
当たり前です。
そうなるのは当たり前ですね。
だって誤報だって思ってないんですもの。
間違ってるのは正しくない現実であって、正しいのは幻想の中の新聞なわけです。
おわびと訂正してますが、それはただの社会的な手続きという意味だけです。
本気で不味いと思っているのなら、一面でごめんなさいと書くはずですね。
そう思ってない、クソどうでもいいと思ってるから適当なテンプレ言い訳お詫び記事なわけです。
ぶっちゃけどうでも良いでしょ?ゴミなんだから。
自分はゴミじゃないと叫ぶ生ゴミなんだから。