展望2021.03.21
ドーモ。
雨の日は漫画を読む。
これ、紳士の嗜みね。
https://www.gamecity.ne.jp/d4/hd/
⼤航海時代Ⅳがリニューアルで出るみたいね。
オジサン、DSのやつ持ってるんだけどまだやってないんだよね。
だってまだⅡやってるんだもん。
何やってんですかねオジサン。
仕事が少し落ち着きました。
なので今宵は面倒くせぇ事を少し書いておきます。
いろいろ思いついた時に書いておかないと忘れるんですよね。
亀田俊和氏のツイートを発端とした、北村紗衣(さえぼう)氏と呉座勇一氏のバトル
「慰安婦は売春婦」のラムザイヤー論文で、アメリカは日本の歴史修正主義に目覚めた
米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに
「セクハラで訴えられた西洋史のとある教授、今ではその著作を使うのに躊躇する研究者も多い」←これ学問としてヤバくない?
あれれ?なんかあれだよなーつなげていくとあれだよなー。
よくわかるでしょ?
まずどうでも良いお話です。
オジサンは網野善彦先生好きなんですよ。
高校生の頃に『無縁・苦界・楽』とか『異形の王権』とか読んでました。
以前にも何かで書きましたが、アジール的世界の残り香に生きる我々にとっては網野史観ってそりゃ好きなもんですよ(あまり網野史観って言葉自体は適切ではないというのもあるが、網野史観的なものという意味でね)
オジサン、お仕事的に伝記を書いておるのですが、資料で網野善彦本使いますよ。
だけど網野善彦本が絶対正しいとか、そういうわけではないですよ。
一つの伝記を作るには、膨大な資料を読むわけです。
そういえば呉座勇一先生のご本も良いですね。
NHKなんかじゃ磯田先生とご一緒に出たりね。
そもそもの発端の亀田俊和先生の本も良いですね。
で、歴史ってものがどうしてここまで滑稽さも含む「乱」を起こせるのか?って事です。
面白いもんですね。歴史って。
客観的事実の積み重ねが歴史じゃないからですね。
わずか数十年前の事ですら、いまだにひたすら戦いまくってるわけですよ。
慰安婦ガーの話で米政府がどれだけ「史実」を調べて「客観的事実」を並べても、そうじゃないとしたい歴史の戦乱が続くわけでしょ?
オジサン的調べによれば、あの界隈の最終的に行き着く先は確実にビジネスに過ぎないと推察するとこではありますが。
それはさておき。
歴史とは何か、そして歴史を見る、そして学ぶ、それとは何か?って事に尽きるわけです。
なんで人は歴史を歴史として扱うのかって話でもあります。
要は認知なわけです。認知。
人間様、つまりホモサピエンスってもんは認知の生き物であり、我々は言語という虚構性に基づいた認識作用によって社会を成り立たせているわけです。
ここいらの話は以前にも書いたように「言語」がどう成り立つのか、という事も含まれる話です。
そこらへんをほぼ完璧に言語理論的に現したのが「空」思想なわけです。
まぁようやく世界が龍樹菩薩に追いついてきたわけです。
で、大事な事はですね、我々が事実と思うのは事実というラベリングを暫定で持っている現象であり、それは本質的に虚構性を持つ、という点です。
この理解によって歴史というものの見方も変わるわけです。
客観的事実とは、客観的な事実というラベリングを暫定値で持っているというだけです。
それを踏まえて歴史的問題を見直せば良いわけです。
客観的事実に意味がないというのではないのですよ。
そして虚構にもまた意味がないわけじゃないのです。
それらは状況であり暫定値だという事です。
そこがわからないと歴史なんて見る意味がないのです。
面白さも何もわからないわけです。
単なる書類の積み重ねだけが歴史で、それを見たら歴史がわかるのなら、オジサン苦労しません。
ましてや善悪だの教育だの、そんな事が簡単に言えるもんですか。
歴史界隈って恐ろしい輩がいるでしょ?
長くなるので今宵はとりあえずここまで。