展望2020.12.07
ドーモ。
何がドーモだと自分でも思うドーモオジサンです。
SNZF17をはめてみました。
良いんだけどやっぱ緑欲しい。
ほちいもんはほちい。
そんな年頃になってしまいました。

今一番欲しいのはこやつです。
そりゃSUMOが激渋じゃんと思いつつ、でも何故かこやつに心惹かれます。
SBSA013君ですね。
買うなら並行品で良いです。
こやつの何が良いって、色使いですね。
なんか緑一色じゃないのが良いんです。
昭和ぽい、あのファミコンの麻雀ぽい。
コタツのテーブルを裏返した感じ。
なんとなく、懐かしい。
古き良き時代です。
意味がわかりませんか?自分でも何言ってるのかよくわかりませんが、気分ですよ気分。
なんかオリエントスターのせいでセイコー電波の受信不良だったみたいですが、またビンビンに受信してます。
最近思うんですよね、自分の電波具合はどうにもならないなーって。
こりゃ死ぬまで治らないわけです。
だから下手にSUMOとかいくより、5スポーツでセイコー電波な方が良いわけですよ。
銭金ってんじゃなくてね、気分ですね気分。
いい時計夢気分です。

もしくはガルフマスター買い戻し作戦を考えてます。
アホなんですが、アホなので仕方ないです。
以前に持っていたブラックなモデルは廃盤みたいなので、こちらですかね。
機械式ガーと思いつつも、なんか気分はGショックな電波ソーラーってのもあるんです。
揺れる想い、ZARD状態です。
正直言って自分にガルフマスターなんて無用の長物感もあるのですが、アナデジが良いんだよアナデジが。
どうもメタルモデルが気になるものの欲しいというところまでこないんですよね。
金原ひとみ「ストロング系は罪深き飲み物」
『蛇にピアス』の作家が語る魅力と落とし穴
酒は味わいのどごし香りと思うオジサンはストロング系はまったく飲みたくないんですよね。
家飲みはかなり減らしました、ほとんどしません。
でもコロナ馬鹿騒ぎのせいで飲みに行くのも減りましたので、最近また飲んでます。
でも前みたいに毎日はイヤですね。
気分の良い時、ゆっくり飲める時に楽しみたいです。
最近はまた日本酒、つまりお酒ですよお酒。
美味いですね。
日本酒飲んでるとストロング系なんか飲みたいと思いません。
家飲みを一時期やめたのは、甲類焼酎ポッカレモン割でガバガバ飲んでたりパックワインガバガバ飲んだりで、キリがないってのもありました。
オジサンは酒には酔いますが、泥酔できない、しても言うほど酩酊しないので、酔いたくて飲むって感覚はあまりないんですよ。
それより味ですし、リラックスしたいわけです。
その割に甲類焼酎とかってどうなの?ってなりますが、つまみを選ばないのとレモンのすっきり感が好きだったりですが、まぁ甲類焼酎レモン割はひたすらほろ酔いで無限に飲める気になれる面白さでしたね。
パックワインの白の氷いれてのむ仁支川峰子ストロングスタイルも、ほろ酔いが続くんですよ。
ほろ酔いぐらいがリラックスできますからね。
味となるとやはり日本酒、お酒ですよ君たち。
やはり酒の最高峰、日本酒ですよ。
ワインも大好きというか、前世がナポリの居酒屋の親父と。ある変な人に言われたオジサンですので、DNAレベルでワイン好きですが、やはり日本酒が飲みたいジャポネーゼなわけです。
パックワインの白でもっとシャブリ的な辛口一献があれば、それだけでも良いのですが、安くて辛口で美味い酒って日本酒一択ですよ君たち。
あー飲みたくなってきちゃったので、とりあえず日本酒。
もらっちゃった越後の根知男山のカップ酒をば。
美味い。
スッキリ、そしてパワフル。
ちびちびやるにはとても良しお君。
まぁあれですね。
ストロング系が悪いわけじゃなくてですね、ストロング系しか飲まない考え方が悪いんですよマジで。
酒って飲み物なわけで、美味さを追い求めるのも大事じゃないですか。
ストロング系が美味いと思うのなら良いのですよ。
好みは大事。
でもベロベロになりたくて飲むなら、もっと他にマシな選択はいくらでもあるでしょって思いますよ。
お勧めはやはり甲類焼酎。
安くて万能。
大正義ウーロン割。
和食にも合う緑茶割り。
ジュースでも良いし、ガチの酒飲み界隈で一定評価のポッカレモン割とか。
まぁでもストロング系良いじゃないですか。
酒は楽しんでなんぼです。
楽しければ何だって良いんです。
楽しくないなら飲まない方が良いですが、飲んで楽しいなら飲んだ方が良いです。
飲みながら書くと結論はそうなりますね。
相変わらず残念至極な感じのヘアスタイルの古谷経衡君ですが、きっと根っからの真面目君なんでしょう。
真面目君な日本人だからそう思っちゃうわけでしょう。
差別なんて世界中にあるわけです。
日本にだってあります。
それは「当たり前」であって、それが「いけないこと」だと真面目君たちは思うわけです。
オジサンだって差別反対。ダメ。ゼッタイ。なわけです。
でもいくらオジサンが反対してもギリギリ人間のオジサンを含む人類は差別する構造の生き物なわけです。
だから差別なんて無いんだ、なんてのはちゃんちゃらおかしいわけです。
だけど差別なんて無いんだ、と言うべきなんです。
それが真面目君には理解不能、未知の領域なわけです。
なぜか?
差別が意図的に抽出され利用される状況においては差別が差別ではなく別の何かに変質しているからです。
真面目君には理解できないのは、簡単ですね。
言葉には言葉の示す範囲なり状況なりが常に一定であると観測していないと許せないのが真面目君だからです。
おわかり?
おかわりじゃないよ?
このNIKEとか言う昔からクソダサいバッシュ作ってるメーカーのSM、じゃなかったCMでの「差別」は商品化された消費財としての「差別」であって、それは人の行う差別的行動の「差別」とは同音異義語です。
おわかり?
なのでNIKEのCMで定義される差別なんてものは無いと言うべきなんです。
おわかり?
そして崇高な日本人である、と言うべきなんです。
おわかり?
古谷君の偉いところは差別と対で崇高な日本人を持ってきたところですね。
差別しない(と自称する)=崇高な(と自認する)日本人、としているわけです。
だから我々は崇高な日本人である、したがって差別などしない。
それで良いんです、このクソダサいバッシュを作ってるメーカーのCMの場合は。
だってこの場合の差別は明確に商品化され消費財となった差別ですからね。
とある反差別団体の方と某筋が差別問題の勉強会で話した時の命題で「差別というものが消滅した場合、差別という行為が認識されなくなるが、それについてどう思うか」と言うものがありました。
反差別団体としては「差別というものは消滅を目指すべきだが、認識として差別が消滅することは反差別的である」と答えたそうです。
差別が無い世界、つまり非差別という状況下では、相手がどうあろうが自分がどうあろうが差別されないわけです。
つまり認識として差別が無い状況では、相手は被差別者であるかどうか、自分が被差別者であるかどうか、認識されないわけです。
したがって情報の構成要素から差別という行為を受ける発生させる情報要素が消滅または意味を成さないわけです。
そうなると差別行為の構成要素も消滅していくので、差別という情報自体に意味が無くなるわけです。
だけどそうなると反差別という意義も消滅するわけです。
簡単な事ですね。
そこに答えの全てがつまってますね。
つまり差別というもの、それ自体が立場や状況によっていともたやすく変質し、利用されているという事です。
こんな事は過去にいくらでもコラコラ問答やってきたわけで、今更なわけですが、非常に大事な事です。