展望,  記事

展望2020.09.05

なぜ日本と世界で「安倍首相の評価」はこんなにも違うのか?

評価する人が違うからでしょ。

つまりアベガーに狂った人が評価したら最悪。

普通に観たら高評価というだけですね。

アベガーっていうものの本質は、アベ=悪なわけです。

それ以外何かありますか?

あるのなら知りたいですね、いや、知っても脳と時間の無駄なのでどうでも良いですが。

↑この元ツイ、てっきりアベガーに対してなのかと思いきやで面白かったです。

時間の無駄使いには最適でした。

さすがのアタクシも久々に頭クラクラしましたわよ。

いや、アベガー観測では多々ある事でもありますが、これは中々極まってますね。

例えるなら、高城沙耶がいつもの小料理屋で右京と薫に新鮮かつ上質な大麻入りオムレツを力づくで無理やり食わせてトリップさせた状況を観ながら最上級のハイブリッド種マリファナでガンギマリしている姿を見せつけられたかのようなクラクラ感です。

政治や実績が小さな問題であるという時点で日本の歴史ってもんが全てぶっ飛びますね。

政治や実績の積み重ねが歴史です。

マジでこの方ちょっと何言ってるか分からないのですが、幸せそうですよねお脳のあたりが。

要するにアベガーなんですが、全て主観上の脳内妄想という感じですが、それこそ何か立証できるもんでもあるんでしょか。

なんかクラクラしてよくわかんないんですけど、何をどうやったら嗜虐性が刺激されて言霊が死ぬんでしょうか?

やっぱちょっと何言ってるか分からないです。

アベガーって動物園みたいなもんって事ですね。

わかります。

【速報】小泉今日子氏、日本共産党から出馬へ→ネトウヨ大発狂

アタクシなんかは狂喜乱舞ですけどね。

だって面白いじゃないですか。

キョンキョンが共産党ですよ。

資本論でも読んで勉強していただいたのでしょうか?

インターナショナルでも歌ってくださるのでしょうか?

毛沢東語録でも引用して演説してくださるのでしょうか?

まぁ日本共産党という共産趣味の敵、じゃなかった、武装闘争を捨てた共産党世界の面汚しみたいなところですからね。

それでも一応マルクス主義は捨ててないとのことですので、ぜひバンバンプロレタリアートの為に社会的階級を破壊してですね、ここは一つ無産階級の為に(ry

室井佑月「安倍さん、すげぇ最後っ屁…在任中に敵基地攻撃方向性、それって憲法違反じゃん?この国は専守防衛なんだから」

安倍流なのか城攻めで言うところの出城を一つづつ攻略していく感これあり。

室井佑月って人は憲法読んだ事ないんでしょうけど、故某巨匠は何を教え込んだんでしょうか?

まったくもって俺と走れな間違いだらけの男選びですよまったく。

GoToトラベル、劇的な効果を発揮し中国など外国訪問客がなくても日本人の国内旅行のみでイケることを証明してしまうwwwwwwwwwwwwwww

これからは台湾を観るべし。

台湾が何を選択し、何を行うか、そこですよ。

今世界一の合理性と大局観に基づいて国家運営を行っている国家であります。

あ、国とか言っちゃだめなのか。

テヘペロでやんす。

京都・祇園の「夜の街」はコロナ前から詰んでいた!?“老舗の看板”で飯は食えず…

いわゆるイメージ的な祇園って祇園じゃなくって、ここでの祇園は銀座赤坂六本木的なとこですね。

または新地や錦とか。

木屋町の方もヤバイんじゃないですかね?

好きだった店とか、もう無くなったりして寂しいですね(飲み屋じゃないですけど)

御用達のあそことかまだあるんですかね?

懐かしいな。

https://twitter.com/partyhike/status/1301348097264549890

この手に関する批判って平成的だったりしますね。

今はもう令和の御世ですよ。

観念的理想論から実利的現実主義の時代になるでしょうって、ばっちゃが言ってた。

すでに平成でそれは始まってたんですよ。

「マイルドヤンキー」論への違和感 “再発見”する東京の視線と、大きな物語なき後のなにか

重要なのはマジョリティ&マイノリティの現実との乖離性または逆転という事実ですよ。

マイルドヤンキー論は薄っぺらで山手線内側のエリートが地方を見下してる感タップリ!

アタクシの様に地方住みで地元から出ない層から観たトーキョー的価値観ってのは、逆に日本の一地方の一部の人の意見に過ぎないわけです。

彼らからしたらアタクシはマイノリティなわけですが、アタクシの世界からしたら彼らはマイノリティになります。

わざわざトーキョー的価値観に反発するわけでもないですが、トーキョー的価値観じゃないといけないと考えないわけですこちとら。

休日(無いんですけど仮定として)はイオンなどの大型ショッピングモールにマイカーで乗り付けてそこで完結すれば良いわけですこちとら。

ジャージは着ないですが、トーキョー的オサレなスタイルで生活したくもないわけです。

地元の付き合いを土着的に愛好していたいわけですこちとら。

こちとらみたいな者はトーキョー的に見ればマイノリティであり、こちらから見たらトーキョー的なるものはマイノリティとなるわけです。

そういや友人とBBQとか、やるわ。

こちとらめっちゃマイルドヤンキーじゃんね。

どうでも良いですがヤンキーの定義的にチーム入ってるかどうかってのが個人的経験上の定義になるんですよね。

だからヤンキーって共同体的なもんですよ。

チームにチームの先輩にケツモチ、ケツモチのさらに先輩とヤーさんとも含めた共同体です。

巨大なる地方の名古屋ですら昨今は共同体が共同体幻想化していってますね。

テレビで警察24時的なのを見ていたら、姫路の暴走族の取締をやってまして、ちゃんとケツモチもいて、あぁまだ日本には失われつつあるものが守られている町があるんだなと感慨深いものがありました。

でもケツモチがエコカー乗ってるのはダメ。ゼッタイ。

閑話休題

いわゆる言論的空間というのは圧倒的にトーキョー的なるものがマジョリティなわけです。

ネットの進歩だろうが何だろうが、そういうもんですね。

だから誤謬が生まれまくるわけです。

ただし、実利的現実主義がマジョリティ化すると、様相はまた変化するでしょう。

いわゆるミーイズム的なものとは別の共同体主義的土着思考な現実主義者が結果論的に残るわけです。

トーキョーでもそうじゃないですか?結果論で言えば。

agwwbnr/Kenshin Hoshino