展望2020.09.03
ドーモ。
刑事コロンボのブルーレイを買っちゃおうかな計画始動です。
2ヶ月か3ヶ月かけてお金を貯めたらいいかも。
もちろんBSでの放送も観てます。
派閥政治ガーとなりそうですが、派閥政治の方がしばらく安定しますね。
選挙に勝ったわけではない総理総裁なわけで、安定化するには派閥の理論が無いと無理でしょ。
菅総理となれば、公明党も悪い顔しないわけです。
来年の選挙までは安全運転でしょうね。
党内派閥でゴタゴタしてる分にはプロレスみたいなもんですから、要は人事をどうするかって事です。
それをどう安全運転で乗り切るかってところですね。
ネット民が食いついた 岸田氏に思わぬ注目集まる 妻との食事写真をツイッターに投稿
ネット民という名のobakasanが食いついたと書くべきですね。
どうでも良いでしょ、という内容です。
だって写真なんてどのタイミングでどのような状況で撮ったのか、それだけで判断できないわけですよ。
考えればわかる事がわからない層が食いついたわけです。
ただ、今このタイミングでこの内容を上げるところが岸田さんの限界点でしょうね。
覚醒せず、でしたね。
どう話をつけてあるのかはわかりませんが、人事がどうなるかです。
安倍首相が日本を「戦争ができる国」に変えた…歴史に残る強引な大転換
戦争なんて前から出来たでしょ。
今時おバカキャラでも演出したいんですかね、この文章書かれた方。
専守防衛というのは戦争しませんという意味じゃないですよね。
自衛権は認めてるわけです。
ていうか自衛権なんてあって当たり前の権利なわけです。
強盗が来るのに鍵閉めるなって話になってしまいますからね。
戦後安全保障体制を無視して憲法九条だけ読むと「戦争ダメ。ゼッタイ」みたいなアホ解釈が生まれます。
侵略的自国利益確保の為の国権の発動たる戦争はアカンで、というのが戦後の集団安全保障体制なわけです。
憲法九条でいう国権の発動とはそういう事です(防衛省の「憲法と自衛権」で解説されてますが、それが気に入らんというのなら文句は政府にいっとくれ)
その集団安全保障体制とは、自衛権を持つ国家間の他亟的な安全保障であります。
つまり集団的自衛権云々ですね。
それが、つまり自衛権というもんが他亟的に相互保障的に「有る」という前提によって集団安全保障体制が成り立つわけですよ。
有る無いが問題とはされないのです。
有るからそうしましょうという事です。
それを何故か捻じ曲げて「無い」としたい人が多いわけです。
「戦争が出来る国」という書き方の狂っている点はそこにあります。
すでに「出来る事」によって成り立っているのが世界であるにも関わらず、さも無かったものが急に森羅万象担当大臣安倍晋三の力によって湧いて出てきたかのように書くわけです。
森羅万象担当大臣ですので、それぐらい朝飯前で出来るのが安倍晋三でしょうが、そんな事しなくてもあるもんはあるわけです(ていうか今さら論ですけどね)
こんな簡単な事で大いに揉めていたわけです。
情けない話ですよね。
そもそも違憲かどうかという問題以前の問題で、世界的にそうなってるじゃんってだけの話です。
あの界隈の頭の悪さ=非論理的思考の象徴的な論説ですよ、永続敗戦論とやらは。
浅薄愚劣な観念論でしかないわけです。
善悪というのは観念であって、絶対性の無い無担保なものです。
言い換えれば、一方通行の思考ですね。
俺が思うからそうなんだ、というものです。
客観性というものは担保がいるわけです。
500円のラーメンには原価があり人件費があり利益があるわけです。
それぞれが担保となって定価が決まるわけです。
白井聡の理屈は単なる好き嫌いの次元です。
一見するともっとものような事でも、それを分解していけば、ただの観念でしかない話なのです。
対米追従ガーという理屈もそうですね。
分解すれば、対米追従というメリット・デメリットまたはその影響の及ぼす帰結が好き嫌いに集約されています。
逆に戦後の親米保守というベクトルへの批判も単なる観念でしかなくなるわけですよ。
それを構成する要素は複雑なわけですが、それを観念的に単純化して(それしか出来ないのであろうが)攻撃するわけです。
知的レベルで言えば反米共産主義者革命バンザイの方がはるかに高いわけです。
反資本主義思想、共産主義革命、反西側諸国・・・
思想理論という担保がありますからね(その正誤はともかく)
日本の戦後史を大まかに振り返れば、革命的思想闘争は敗北し、代わりに観念的に単純化されたミーイズム的反共同体思想がのさばったわけです。
アタクシは心の広さは広大無辺にしてユーラシア大陸の如くして慈悲の心はマリアナ海溝より深い上に日本国憲法遵守の模範的精神を持つものですから、当方の思想はこれにつき当方はこう主張するというのであれば、それはそれで一つの思想信条であり尊重はすべきと考えます。
ただ、白井聡の如き観念論、つまりミーイズム的半共同体思想なんてものは本質的に突き詰めれば思想でもなんでもない、ただのガキのワガママのようなもんです。
そんなものは尊重すべきものでもなく、公共の福祉に反するダニのような言説でしかないのです。
なぜかと言えば、彼らもまたそう思ってやれネトウヨだの何だのギャーギャー喚いているわけです。
要するにそのレベルの話であって、修辞的に賢そうに彩っただけで値打ちを出しているに過ぎないのがあの手あの界隈の学者だの何だのの主張です。
それは思想でも言論でもないのですよ。
そこが大事ですね。
町山智浩さんの流した「安倍首相、持病再発後も焼肉食いまくってた」「仮病だ」と拡散された画像、嘘の情報だった なおリプできないように設定してあるので訂正リプもつけれない模様
何も考えて生きていないからこうなる。
要するに反知性で反射行動だけで生きているとこうなる見本です。
気をつけましょうね。
「Apple Watchはダサい」「使えない」「改札で体ひねりwwww」←これ
興味ないんですよねスマートウォッチ。
全く無いわけじゃないので、シチズンとカシオのやつはチェックしました。
通知機能よりパワーリザーブの方が大事ですからね。
昔は本当に態度がクソなおっさんが天下り職員でやたらいて、天下り反対派発生装置化してましたね。
食堂も値段の割に不味かったです。
駐車場も不便な作りでね。
アクセスもクソでね。
駐車場が無い今のほうがかえってバス増発で行きやすいってね。
何でもう一箇所ぐらい作らないんですかね?
うちからはまだ45~60分圏内ですから良いんですが、下手したら1時間半とかかかる人多いんですよ。
守山区とか中川区とか港区あたりにも作っとけよって話です。
車でいらない機能「アイドリングストップ」「オートハイビーム」
アイドリングストップが無い車になったおかげで実に快適ですね。
スズキはアイドリングストップをやめたらドライバリティ爆上げですよ。
ソリオもスイフトもそうでしたから。
スバルはアイドリングストップ機能が弱いというのか、あまりエンジン止まらない方向性ってわかるセッティングですが、止まると再スタートが不愉快でしたね。
なんでこんなもんが良いと思ってるんですかね。
オートハイビーム?手でやれバカ。
いや、マジで手でやった方が良い操作ってもんがあるんですよ車には。
何でもかんでも自動化だのデジタル化だのしない方が良いんです。
やるのなら、きちんとON/OFFのスイッチをつけなはれ。
運転手があくまで操作を担うわけですからね。
その選択の自由を奪うのは車の死ですよ。
まぁ楽になるのは良い事ですけど。