展望2020.05.23
知ってた、指原莉乃さん芸能人の検察庁法改正の抗議、とんでもない状況を暴露する
国民の声で検察庁法改正案先送り。民意は悪政を変えられる! 大切なのは忘れず声を上げ続けること
よく考えなくても簡単ですね。
どこの誰が笑っているのか。
今回のこのハッシュタグ騒動ね、これは構図は簡単なんです。
仕掛けたやつがいるってだけですね。
これははっきりしてるわけです。
そして誰が笑っているのかって事ですね。

ずっとこれなわけですよ、戦術的に。
民主主義とは選挙によって成り立つわけです。
選挙で勝てない層が自分たちの利益の為に騒いでいるわけです。
特定野党・マスメディア・反日活動家etc
これの危険なところは、言わずもがなですが、何でも有りなわけです。
民主主義そのものの破壊でしょうね。




大変危険な兆候でございますよ。

民主主義は選挙によって成り立つわけですが、その選挙結果など完全無視になってきてます。
これに関しては政府与党の失策となります。


彼らは自分達は頭がよいと思い込んでいるわけです。
もっと言えば自分たちが正義だと世の中の為に良いことをしているとも思い込んでいる輩もいるわけです。
無謬との思い込みそのものなわけです。

まぁこれの話もそれ絡みにもなりますが、要するに「フェイク」であっても何でも良いわけですよ。
自分たちの利益の為に全ては正当化されるわけです。
無謬と思い込むことは恐ろしいものです。
何が無謬との思い込みを生み出しているのかと言えば、根本は認識の誤謬です。
少し調べればわかることですが、こういうアホすぎるマスメディアのアホすぎる記事でも思い込みによって成り立つわけです。


女性自身は相当頭ヤバイ奴が作ってるのか、何かわかりませんが、もうちょっと21世紀ってどんな時代なのか知った方が良いでしょうね。

日本が人権後進国なら世界中ほとんどの国が人権すら無いって事になりますがね。
何が正しくて何が間違っているかというのは根本的に「見る場所によって景色が変わる」わけです。
それは世界とはそうであり、なぜそうかと言えば我々の言語認識が「見る場所によって景色が変わる」からです。
それが我々の本質的な「誤謬」なのですが、自分には「誤謬」などない人にとっては「無謬」なわけです。
だから○○が正しい、○○に反するものは間違いである、という認識の誤謬を招くわけです。
何でもそうですが、昔の評価ってのは「誰か」が作っていたものです。
例えば車がそうですね。
自動車評論家大先生の言う通りの評価しか許されなかったわけです。
私は亡き祖父のコロナプレミオを受け継いでしばらく乗っていました。
コロナプレミオなんて自動車評論家大先生方からは低評価の嵐だったわけです。
しかし評価なんてものは、最終的には人それぞれなわけです。
絶対的な評価など存在しえないわけです。
私からしたら実に良い車で、今でも乗りたいぐらいです。
だけど自動車評論家大先生の評価が「正しい」となっているわけですね。
だから評価が作られて、それがまた認識の誤謬を再生産させているわけです。