展望2020.04.20
これでいいじゃん。
こちとらキャッシュレスで上等ですから。
この給付金に関して実にトンチンカンな人ばかりなんですが、これって実質90000円ですからね。
消費税の標準税率で考えたらそうなります。
使わなければ良いって?
だったらゼロ円って事になります。
我々が持つお金は使わないと価値が無いのです。
給付金で株でも買って、うまく行けば110000円になったとしても、税金は取られます。
それが国の仕組みで当たり前なわけです。
どう使うのが一番良いのかは人それぞれですが、まず10万円の意味を考えておきましょう。
まぁ家賃とかそういう支払いってのも合理的ですよね。
これを税金に当てるのが一番合理的な気もしますね。
車とか時計の話になるとすぐに批判してマウント取ろうとしてくるやつおるよなwwwwwwwww
あれ作り出しているのはカーメディアなり時計やファッション関連のメディアなんですよ。
ビジネスとしては正攻法でしょう。
ロールス・ロイスだのパテック・フィリップだのってのは、お高い富裕層向けな商品なわけです。
ただし機能性としてカローラであるとかアルバであるとかと本質的な違いはないわけです。
違うのは値段であり、その値段を裏付ける為の価値なわけですね。
例えば僕が大金使ってロールス・ロイスと同じデザインやスペックの車、パテック・フィリップと同じデザインやスペックの時計を作っても、同じ価格では売れず、とんでもなく安い金額でしか売れないですよね。
その差額が付加価値だとかプレミアムなわけです。
そのプレミアムの多い少ないで右往左往するわけです。
考えてみればそんだけのもんであって、それはベンツだろうがジャガーだろうが同じですし、ブレゲであろうがブランパンであろうが同じなわけです。
要はプレミアムにいくら出せるかという合戦がしたい連中がいて、それをけしかける連中がいるわけですよ。
それにのせられない事が楽しむ為には必須だと思いますね。
S-Crossはロールス・ロイスより良いぞって言えるぐらいになると実に楽しいもんですよ。
まぁそういう事を言うと顔を真っ赤にして起こってくる輩がいますが、ああいう人って何が楽しいんでしょうかね?
↓本日のアホばか列伝
「無策な安倍政権」をいまだに支持し続ける人がいる理由――内田樹の緊急提言
この人って政治を語ればボロしか出ないオジサンですね。
くどくど書きますが、防疫ってのは病気を広めないという目標だけでなく、死亡者数を出さない、または低くするってのも重要なわけです。
それは国民健康保険制度を主幹とする日本国の医療体制そのもので当たるわけです。
その結果の数字は先進諸国の中でも圧倒的に低い死亡者数と致死率に出ていますね。
まずニュースをちゃんと見たほうがいいんですよ、数字で出てますから。
天下国家を語る前にそこから始めましょうか。
隠蔽されているというのなら、その証明も同時になされないとただのデマゴーグです。
政府ガーというのも論点がずれていて、政府と言えば政府ですが、それって主語の罠なわけです。
主に対策を考えているのは厚労省で、厚労省はどういった原理で動いているのかを考えましょう。
法律ですね。
法律に基づいて動くわけです。
当たり前ですね。
この内田さんは世間で何かしら働いた事が無いのでしょうか?
法治国家というものは、定められた法律に基づいて行政も動くわけです。
どんな職業職種であっても何かしら法による支配を受けるわけです。
防疫ガーというのも、法律の基づいて判断して動くわけです。
だから散々国会で論議して法案を通していましたよね?
ニュースをちゃんと見ましょう。
なので遅いだの何だのというのはまず法治国家の仕組みを理解していないから生まれる誤謬なわけです。
そういった点では政府は機能し働いているわけです。
その結果に関しては先に書いたように現時点での感染者数・死亡者数・回復車数も含めて鑑みても成功していると言えるでしょう。
そうでない失敗だと言うのは簡単で、それを言い出すならそもそも中国が盛大に失敗した結果が今の惨状なわけです。
それはそれでなぜそうなったのかというのはいくらでも論議すればいいですが、内田さんがそれを言っても床屋政談レベルにしかならないよねって事なんです。
それは言論封殺でも何でもなくて、そういうレベルの話しか出来ていないよって事です。
また、日本的な問題点というのなら、内田さんの言っている責任論なりも実に日本的な事後諸葛亮に過ぎないわけです。
頭良さそうに振る舞っていただけの人ってだけですね。
おおよそ世の中の頭悪い発言の要因は主観の範囲の誤認にあります。
我々のギョーカイも自粛しまくってますし、利用もされまくっているとも言えるでしょう。
それは状況なわけです。
状況がそうなっている、そうさせているわけです。
それが嫌なら状況を変えるしかありません。
不平不満なんてものは言い出したらきりがなく、誰しもが持っているものですが、状況によっては致し方ない事なのです。
つまり不可抗力によって引き起こされる状況に抗う手段を持たない時点で「詰んでいる」わけです。
麻雀で言ったらリーチかけた後に追っかけでオープンリーチかけられて、相手の当たり牌を引いた状況です。
それだけの事です。
その状況を変えるのはどうしたら良いのか?
変えられない状況ってもんもあります。
それが世の中です。
ただ、そういった状況が自分だけがそうであるという誤認が主語の範囲の誤認を生み出すわけです。
誰しもがそうなりうる、また誰かもそうである、というささやかな想像力があれば、考え方も変わるわけです。
いい大人ならその分別をわきまえておかないと、こうやって恥ずかしい発言が残り拡散される事になるのです。