展望2019.3.6
人間というのは自分がどのような動物であるのか、即ち身体的機能性というものを認識して生きているわけじゃないのです。
なぜ脳がここまで進化、それすら人間の勝手な認識ですので言い換えれば、脳の容量が増えてしまった結果どうなったのかを考えるべきなのです。
『テラフォーマーズ』という漫画ではその結果として「脳が無駄な事を考えるようになった」とありましたが、それはまさにその通りなのです。
自己保存なり遺伝子の継承なりが生命の主目的ならば、人間もそれのみを目的に生きればいいわけですが、無駄の積み重ねをやっているわけです。
ましてやその無駄に快感を感じるわけですから、如何ともし難い生き物なわけです。
それを「知恵のついた猿」と呼んだのが『へうげもの』での秀吉です。
実際の秀吉がどう思っていたのかは知る由もないですが、『へうげもの』での秀吉の恐ろしさというのか「誰からも理解されない」存在としての秀吉が際立った場面でした。
「知恵のついた猿」としての人間をどうしていくのか、というのが言ってしまえば人間の問題の根幹なのですが、厄介なのは「問題」を起こす人間は自分の事を「知恵のついた猿」などとは夢にも思わないところなのでしょう。
外国人「日本の映画の技術は50年遅れてる。世界最悪レベル」
音楽と映画とファッションあたりだといつもこういうトンチンカン大集合みたいな話になりますよね。
私が高校生の頃でもこういう話はいくらでもありました。
そのもっと昔からいくらでもこういう話はありました。
主語のでかい話は総じて印象論だと言えますが、まぁトンチンカンですよね。
映画で言えば映画館で全国上映される映画というのはビジネス的に客層を狙って作られています。
映画館で観てくれる客、さらに円盤を買ってくれる客が喜ぶものを予算に応じて作られるわけです。
日本映画ガーと息巻く層はどうせ映画館にも来ないですし、円盤も買わないのです。
それは音楽でも何でもそうなのです。
需要に合わせた供給が成り立つから今でも新作映画が作られ上映され続けられているのですが、そんな簡単な話がわからないからトンチンカンな話になるわけですよ。
イケメンやアイドルが出てファンが観てくれればビジネスとして成立するのであれば、それで良いわけです。
大規模予算で演技の上手い役者だけ揃えて理想論的な映画を作っても、売れなければ意味がないですし、赤字額が大きくなればなるほどダメージがでかいわけです。
バブル期ぐらいまでは失敗しても許されたのかもしれませんが、失敗が極端に許されないのが今の社会なわけですから、失敗するより小さな成功なわけです。
ハリウッド映画だってやってることは規模が大きいそれなわけです。
映画産業を成り立たせていくにはそれしかないのかもしれません。
そんな中でも良作は生まれますし、産業が成り立っていないと良作も出てこないわけです。
じゃあ日本映画はこれでいいのだ、というのではなく、構造的な問題もありますし、個々の作品で酷いもんもそりゃあるわけです。
ただトンチンカンに叩き続けても良くなるわけでもなく、叩く事が目的化している面も見受けられるところがまず問題だろ、ということです。
昔の京都の方が良かったわなぁ。
思い出深い街ですが、流石に常宿のいずれもが倍の値段になったあたりで「おかしい」と感じましたね。
またゆっくり写真を撮りに行きたいもんですが、しばらくは難しいですね。
制裁以前に渡航制限すら渋ったのが外務省で、いかに外務省は仕事をしないのかが丸わかりですね。
韓国もそれをよくわかって行動しているわけです。
現状認識を改めるところからはじめないといけないのですが、どうやっても役所というのは仕事を減らしたいので、無理かもしれませんね。
少なくとも相手の理性と知性を信頼するという性善説の如き間抜けな考えは捨てさせないといけないとは思いますが、外務省はお育ちの良い方々が入省されるところだそうで、それも無理でしょうね。
中国最大級のデフォルトか 民生投資と永泰能源、今月に支払い遅延が発生
続々とデフォルト話が入ってきますが、中国が日本から学んだ最大のポイントはバブルが弾けようがどうしようが「取引」そのものを停止させてしまえば売るに売れないだろうという事かもしれません(まぁあの時は大蔵省がポンコツ以下の無能低能だったのが最大の要因ですが)
海外で取引される人民元そのものの取引は停止できませんが、国内での株式等は無理やり国家権力で停止させる事ができました。
共産主義というより独裁政権の強みで何とかなるだろうというのが今の中共の基本姿勢ですが、それもやりすぎたら手がつけられない事態にもなるわけで、そこが悩み所なのでしょう。
明智光秀が一番織田信長に高く買われていたんだがなぁ。なんであんな事したんだろうな。
明智光秀に関してのあの本も読みましたが、いろいろ無理筋すぎる部分が多すぎてちょっとね。
まず本能寺の変後に細川・筒井が完全に動かなかった時点でわかることが、明らかに織田家勢力圏の機内で明智勢は孤立化していたわけです。
それは当たり前で、主君殺しだからです。
下剋上当たり前という世の中であっても主君殺しは主君殺しであって、それは如何ともし難い事実なわけです。
そこに明確な大義名分があれば主君殺しもやむなしとなりますが、細川・筒井という明智に一番近い筋が動かなかったということは、大義名分が成り立っていないということです。
織田家は朝敵でもなく、機内の平穏を脅かす存在でもなかったわけです。
逆にそれぐらい明智光秀ほどの武将なら理解していたとも思うのですが、なぜ主君殺しをしたのかが諸説入り乱れるところです。
個人的に一番リアリティがあったのはノイローゼ説ですが、それだと大河ドラマじゃやれないですね。
長宗我部がらみという説もリアリティはありますし、大河でも成り立ちそうですが、どうなんでしょうかね。
秀吉黒幕説はどうもリアリティがないのですね。
対毛利戦線の中で明智光秀と密約を交わしていざ事に及んだら明智光秀と共に機内を制圧するという事にしておいて、実は明智光秀すら裏切る、それはリスクがでかすぎる「賭け」にしか思えませんね。