環境は人命より重い

①もしもし地球さん 何でも望みが叶うのなら、一度地球のお気持ちとやらを聞いてみたい。 昨今、地球の環境が悪化しているけしからんのでカーボンニュートラルだ二酸化炭素削減だと言われていますがどう思われますか?と。 地球は何と答えようか。 答えようがあるまい、まずもって地球は無機物である(と噂されている) ガイア理論で言えば地球全体が生命体とも言えるのだろうが、いかんせんコミュニケーションがとれそうにもない。 仮に生命体だとしてもだ、その場合は地球から見たら人間など腸内細菌の如しである。 細菌の都合で人間様が動くわけではない、従って生命体としての地球からしたら細菌がどうこうしたところで地球様の感知するところではないとなるであろう。 そもそも地球にとって最適解な環境とは一体どのような事であるのか? 不明である。 ましてや人間のもたらす影響がどれだけ地球環境そのものを変えているのか、またその結果がどうであるのか、地球規模で考えて何か地球にダメージの一つでもあるのかどうかも不明であるわけだ。 そうであろう? カンブリア紀の地球環境と今の地球環境は全然違う。 どちらが最適解なのか? わかるわけあるまい。 地球は答えてくれるわけではない。 地球環境がどうのこうのと語る御仁は、もしもし地球さんと言いながら地球と会話しているのであろうか? ②環境問題はなかった問題 問題とはなんぞや? 環境問題という場合は、なんらかのアクシデントなり解決しなければならない事象があることであろう。 つまり地球環境にアクシデントがあるので、それを解決しましょうということである。 なるほど、例えば以前は空気汚染が問題となったし、海洋汚染や水質汚染などもあった。 私が子供の頃に騒がれていたオゾン層破壊の問題がある。 オゾン層がフロンガスによって破壊されると、穴が空いて地球が温暖化すると言われていた。 それはどうやら間違いであったようだ。 しかもオゾン層将来的に回復するらしい。 回復しないと子供の頃に聞いたが、嘘であったようだ。 一体何が本当なのかわからないのが環境問題である。 そう言えば石油も無くなると言われていたが、どうやらそれも問題なさそうである。 さて、残す問題と言えばやはり地球温暖化問題であろうか? いやいや、環境問題というのなら、いくらでもあるでしょう。 私は匂いに敏感である。 街には嫌いな匂いがいくらでもある。 特に苦手なのが動物の匂い、また動物の糞尿の匂いは最悪である。 私にとってこれは重要な環境問題であり環境汚染なのだが、どうも世間では何も問題視されていない。 だが、私と同じ意見の人は幾人か知っている。 だが、同意見の数人が声を上げたところで誰も聞いてくれない。 そこで悟ったが、要は声の量であるのだ。 問題とはつまりは声の量である。 私にとっての問題は問題ではなかった。 あまりに小さく少ない声であったからだ。 ③問題は解決できるんですか? 我が国もどの国も地球環境の為に二酸化炭素排出量を減らしましょうと言っている。 その割には最大の排出国であるアメリカと中国は本気で排出量を減らそうとしているわけでもなさそうである。 本気で排出量を減らしたいのなら、豊かさや贅沢を捨てて馬車で移動しそこらへんに生えている草でも食べれば良い。 令和三年現在のアメリカの大統領は環境問題が大事であると言っていた記憶があるが、その割には環境によろしくない相変わらずな大統領専用車両に乗り、恐ろしく石油を消費する大統領専用機を使っている。 その点中国人は素直である。 バカみたいに環境を破壊して贅沢を求めている。 そう言えばドイツでは将来的に自家用車すら所有できなくなるらしい。 それもこれも環境の為である。 ドイツは環境問題に本気なのであろうか、まだまだ対策は足りない。 本気の中の本気なら、さっさと自動車製造すら止めてしまえば良い。 馬車にでも乗ってろ。 しかし全世界で一致協力して環境問題に取り組む、カーボンニュートラルだ二酸化炭素排出削減だと言うが、それらの目標を成し遂げたとこで確実に地球環境が素晴らしいものになるわけではない、という。 当たり前だ、未来予測など出来ない。 二酸化炭素排出量が今の半分になったとして、地球環境が良くなる保障はない。 どの科学者も科学的根拠に基づいて保障していないのだ。 なぜか? そもそも環境問題というものすら不確実性の塊であるからだ。 科学とは数式であると理解していたが、環境問題に関してはどうも違うらしい。 数式なり公式なり数字的正しさなどは問題ではないのだという。 わからない事を観測データで考えているが、結局誰も保障できない推論でしかないのだ。 私のデータの探し方が悪いのだろうか? 私の推論が間違っているのだろうか? もし二酸化炭素排出量を減らせば地球環境 … 続きを読む 環境は人命より重い