2004年の独り旅・名古屋から日光へ
たぶん人生初の独り旅ってのは、小学生の頃に三重の母の実家へ遊びに行った事だろう。
名鉄バスセンターから今はない上野産業会館まで高速バスの旅路。
小学校4年生だったが、心細かったのを覚えている。
旅なんてものは心細いぐらいがちょうど良い。
高速バスの旅も慣れてしまえばなんてことはなくて、そうなると面白みもなくなってしまうのだ。
次に独り旅と言えば中学時代に長浜までのバス釣り旅であった。
東海道本線を使っての独り旅である。
釣具をかついで名古屋駅から新快速に乗って琵琶湖の長浜まで行くのだ。
意外と自分以外にもそういう奇特な釣り旅をする親子連れがいて、話しかけられたのを覚えている。
旅と行っても中学生なので日帰りだが、あれもまた旅情である。
そう、独り旅は旅情である。
旅情とは何かと言われてもよくわからないが、とにかく旅情である。
大人になって、自由が出来て、旅情のある独り旅をしたのが2004年のことだった。
小さな独り旅ならもっと前にも色々あったが、思い出に残る旅と言えば2004年からである。
とにかく2004年の8月の末、いろいろな事が終わって「自由」となった。
そう書くと大げさだが、学業であるとか仕事であるとか人間関係であるとか、諸々の関係性の中で生きていて瞬間的に発生した何かしらの隙間のような時間が出来たのだ。
それを暫定的に「自由」と呼ぶ。
僕はその時間と空間を独り旅に費やそうと思い、無計画のまま車を走らせたのだ。
と言ってもだ、現実には大まかな目標が必要なのである。
そこで考えたのが、世界遺産であるとか、とにかく観た事のない有名なモノへ向かう事にした。
そうだ、日光東照宮へいこう。
特に深い意味もなく、日光東照宮が思い浮かんだ。
やはり尾張徳川家の地で生まれ育ったので、刷り込みがあるのだろうか。
その頃の愛車は「家の車」であったトヨタのアレックスで、要はカローラランクスであり、その販売店違いのヤツである。
コンパクトカーだが、最新型NCVカローラなので非常に走りの安定感が有り室内も広く高燃費という、悪いところの無い車であった。
しかし、これは仕方が無いことだが、ワゴンのフィールダーに比べたら室内長が短くて寝るに寝られず。
車中泊には不向きであった(助手席を使うやり方で車中泊がやりやすい事が後から判明した)
だが、そんな事はお構いなしにとりあえず地図を観て、東へと進む。
宿も何も無計画だが、いざとなれば車で寝れば良い、寝られるかどうかも試していないが何とかなるだろ。
長久手を抜けて夜のグリーンロードを走り、長野県へと向かったのだ。
153号線飯田街道の旅路であるが、なんせ夜中なので早い早い。
あっという間に長野県へ入り、そこから日光へと向かう。
残念な事にどのルートを通ったのかという詳細は忘れてしまった。
確実なのは明け方に軽井沢で、碓氷峠を越えると朝であった。
途中で休憩をして、日光へは日光線沿いに進んで行きたどり着いたという記憶はある。
あの当時、僕はバイトしてカーナビを買って装備していたのだ。
2000年代に入るとけっこうカーナビも実用的になっていたが、それでもまだ不要派も多かった。
僕はカーナビとETCは実用的になった時点で即導入していた。
かなり先見の明これありである。
カーナビに日光東照宮と打ち込んで、指示に従い進むだけである。
道中休み休みであったので、日光東照宮に到着したのは昼過ぎであった。
あの頃使っていたカシオのデジカメは、祖父が購入したもので、それを借りていた。
デジカメの基礎的な知識も無いまま使っていたので、保存データ容量をケチりすぎて、写真のサイズが小さすぎて失敗したのだ。
なので写真はまったく残っていない。
子供の頃から写真が好きだったのだが、一眼レフは難しいだの写真は難しいだのと親などに刷り込まれたせいで変に苦手意識だけがあって、今から思えば入門書でも買って勉強すれば良かったのに、なぜか簡単なコンパクト機や写ルンですばかりで済ましていたのだ。
そのせいで好きなのに知識もなく経験もなくである。
何でも多少の勉強で道は広がるもんである。
そしてデータ一つでもケチるもんではない。
ケチは身を滅ぼす。
エリクサーなんて溜め込んでも仕方ないのだ。
ゴールドも使ってなんぼなのだ。
そういう悟りとか知見をいかに得るかである。
それはともかくとして、日光東照宮を堪能した。
無論、輪王寺もだ。
素晴らしい。
さすが世界遺産。
世界遺産にハズレ無し。
それにしても平日なのに凄い人である。
僕は人混みが嫌いな都会っ子である。
ほとほと嫌気がさして、日光を後にする。
中禅寺湖方面で進む。
いろは坂はいろは坂で漫画で観たなと思いつつ進む。
華厳の滝を観ればよかったのに、気がついたら中禅寺湖を通り過ぎて戦場ヶ原まで来た。
そう言えばブラックジャックで戦場ヶ原の猿の話があったなと思いながらお土産物を観たりしたのを覚えている。
この頃になると運転中毒のようにひたすら没頭した状態になっていた。
長距離、長時間走行の先にある謎の没入感。
走っていて気がつけば時刻は夕方が近い、夏の終わりの夕方である。
日が暮れるのも早くなる。
ましてや山の中なので、余計に焦る。
まぁ焦ってもこの先はひたすら山である。
何せ見知らぬ土地である。
宿があるわけでもない。
行くあてのない僕である。
目的地にしていた日光東照宮はもう堪能してしまった。
後はどうするか。
そう、友達に会いに行こうと思っていたのだ。
その友達は京都にいる。
ということは、ここから京都を目指せば良い。
とりあえず沼田市まで出て、まっすぐ行けば長野だが、北へ行けば日本海だ。
日本海、いい響きである。
これほど旅情を誘う言葉を僕は他に知らない。
地図を観て、一番近い日本海は柏崎である。
そこを目指そう。
日光東照宮から戦場ヶ原は昼過ぎの事で、柏崎に到着したのは夜だった。
どこかで寝よう。
道の駅がある。
風の丘という今は閉鎖された道の駅だ。
広い駐車場にはあまり車もいない。
誰に何を言われるわけでもなく、独り静かに夜を過ごした。
気分は未だに高ぶっていたが、さすがに疲労困憊である。
なので運転席を倒すだけの簡単車中泊だが、意外とすんなり寝られた。
目が覚めたら朝7時か8時ごろであった。
トイレに行き、顔を洗い、どうするかタバコを吸いながら考えた。
しかし考えても仕方ない、ただひたすら日本海沿いを進んでいくだけだ。
実に簡単である。
小浜まで行けば京都まですぐだ。
そうなると気が楽になる。
ひたすら走るだけ。
そのひたすら走るだけという時間が素晴らしいのだ。
アレックスは特別高性能な車ではないが、快適である。
柏崎からの道も快適そのもので、ゆっくりドライブを堪能する。
富山あたりから交通量も多くなり、石川へ入ると疲れもあって少しうんざりする。
能登へ。
能登には少し因縁があったので、一周することにした。
能登島などでうろちょろしたら日が暮れた。
流石に風呂に入りたい。
記憶が曖昧だが、日帰り温泉施設と道の駅のある道の駅渤海で一泊したはずである。
なんにせよ風呂はありがたい。
風呂ですっきりしたのは良いが、あまり寝られなかった。
それでも朝は来る。
そしてまた走る。
旅とは簡単である。
不思議な真理に目覚めたようだ。
また走って走って、気がつけば小浜にいた。
小浜の港には風呂がある。
展望の風呂で、これは気持ちが良かった。
そこから大原三千院を抜けて京都へ。
夕方には京都の街中を抜けて友達のところまで走った。
夜遊びを友だちと楽しみ、ラーメンを食べた。
次の日にちょっとした出来事があったのは覚えている。
だけど細かい事は本当に忘れてしまった。
だけど、この旅路は実に思い出深いのだ。
本当にいろいろ思い出深い旅なのだ。