漢の旅2006・ぐるり富士山漫遊記

幼馴染YSKとYSKの従兄弟ウナムの漢三人旅。

僕がカメラというモノに目覚めたのはウナムの影響である。

いや、正確にはFM3が欲しいだの望遠が欲しいだの言っている割に何も買わない僕が実際に買うという歯止めの効かない行動を繰り返すようになったのは彼の影響である(誤解を招く表現だがウナム氏は早々とカメラを買い替えたりしない慎重派である)

あとインドでカメラをケチった事による手痛い失敗がいろいろあったため、本格的なカメラが欲しくなったのだ。

一つがデジカメが本格的に普及し、性能向上が著しい時代であったので、まずはデジカメを購入した。

パナソニックのFZ7である。

デジイチはまだ高嶺の花子さんていうか謎の世界感があった。

まずはコンパクトながら望遠の強い機種で楽しみたかった。

実際の性能的にはやはり厳しい面も多々ありながらも、かなり楽しんだ。

そしてフィルムカメラで良い写りを体験したい。

長年愛用していたペンタックスのエスピオ君、写りは安いコンパクト候である。

ウナム愛用のツァイスの如き濃厚なる写りを求めていた。

調べてみるとGRが良いとのことだが、GR1がどうも高い。

そこでGR10という廉価モデルがあり、1万5千円ほどで購入できた。

これまた良いカメラなのだが、どうもその楽しさを理解するにはまだ未熟すぎた。

とりあえず楽しいカメラがいろいろあるって事だけはなんとなく体験して始まった感がある時期であった。

漢達は関東を目指す。

なかなか休みが合わない我々だが、偶然にも休みが合った。

じゃあ写真を撮りに行こう、写真期だ、という流れ(写真期とはウナム・YSKの命名青い空 青い海 青いタイル 参照)

この頃は僕も生活がいろいろ変化していたのだ。

祖父が体を壊し、愛車を譲り受けた。

コロナプレミオ、名車の中の名車である。

どこまででも走れそうな高性能D4エンジン。

ゆったり快適な車内。

降りたくないほどの乗り心地。

素晴らしい一台。

この名車で走るのだ。

どこまでも行けるだろう。

とりあえず関東、目指すは富士山との事であった。

夜に出発し、朝方に静岡に。

まず目指すのは身延山久遠寺。

日蓮大聖人の聖地であるが、我々にはあまり馴染みがない。

どうも場違いなところに来てしまった漢の感。

本当に山の中にあるのだ。

これほどの山の中にどうやってここまでのものを築き上げたのか?

不思議である。

人の力とは凄いのだ。

この階段である。

人力で登るしか無い。

若さに任せて無理したが、今はもう無理である。

実は後年また訪れたのだが、階段ではなくロープウェイを利用した。

文明とは偉大である。

転がり落ちたらタダでは済まないだろう。

立派なお堂である。

良い写りだよね、GR10。

さすがGRだよ。

実はこの時は良くわかってなかったんだけどね。

鯉。

立派である。

広い。

立派である。

山。

立派である。

身延山久遠寺から少し走ればもう富士山である。

河口湖まで来た。

このもやーんとした感じが良いじゃないか。

ほうとうを食す。

朝ごはんである。

なぜか朝から開いている。

昇仙峡へ来た。

奇岩。

立派。

確かに仙人が出てきそうな立派感。

今から思えば立派なのは良いのだが、意外と撮るものも少ない気がする。

実はだ、富士山からそうなんだ。

立派すぎるものはそれだけで終わってしまう。

だけど、写真だけが目的じゃない。

漢ってもんの旅はだ。

なんつーのか心意気ってもんがあるだろ。

旅路を味わう心意気だよ君。

ピントはハズレているが、心意気のある漢の姿。

旅は心意気である。

心意気の結晶である。

思わず観てしまう、つまり心意気である。

国宝である。

つまり心意気である。

諏訪大社。

凄い神社である。

君が代に登場するさざれ石。

これもまた心意気である。

うーむ。

心意気。

水の一杯も心意気。

運転を変わってもらう心意気。

眠気が来くると危ないからね。

それにしても良い車だった。

コロナプレミオ。

これもまたトヨタの心意気である。

行きは岐阜から浜名湖へ抜けて一号線の旅路。

帰りは中山道、つまり19号である。

山路である。

長野は良い。

心に来る旅情が味わえるから。

心意気である。

疲れて疲れてさよならもまた心意気である。

漢の旅とは終わることはない。

必ず次へとつながっていくのである。

心意気であるからだ。

旅とは終わりがないものなのだ。

まだまだ楽しみは続く。

それが心意気というものだ。