展望2018.2.20

ワイ趣味学者、趣味を4つに分類することに成功
僕は写真撮影が最大の趣味なんですが、カメラ収集は趣味ではありません。
よく人に勘違いされるのですが、カメラは撮影の為の手段ですので目的にはならないんですね。
ただ手段は選ぶ必要があるから面白いのだと思います。
でも先立つ物の関係で偉そうに選ぶってほどのこともできませんが。

【自動車】独VWが日本市場にディーゼル車「パサート」、20年ぶり投入 422万円~
ディーゼルはマツダの方式以外はどうも将来的な不安点がありますね。
デンソーの触媒を使っているところはまだいいでしょうけど。

2017年の国内のデジタルカメラ全体の販売台数は13%減だがミラーレスカメラは4%の増加
TX1はいいぞ、LX100は凄い面白いぞ、って言っても興味ない人からしたらやたらお高いし、興味ある人からしたら安いミラーレスのセット買えそうって値段なんですよね。
何年も前の事ですが、DSLR欲しいって人にはミラーレスを勧めてました。
液晶画面で撮影することに慣れている人にはその方が良いだろうと思ったのですが、皆さんキヤノンのKissにしてましたね。
でもすぐに使わなくなる現象は定期です。

トヨタ・クラウン60周年記念展に思う~クルマジャーナリズムは「共助」を目指すべき~さらばクルマジャーナリズム⑦
トヨタ・クラウン60周年記念展に思う~クルマジャーナリズムは、複眼的視点を持つべき~さらばクルマジャーナリズム⑧
非常に的確な指摘だと思います。
逆に現状の自動車評論のままであるならば、読むべき価値はないでしょう。
トヨタのユニバーサルデザインに対する姿勢は大変素晴らしいものがありますが、残念ながら二代目ラウム以降はその思想性をはっきりと示した車種が見受けられないのです。
二代目ラウムは数度乗りました。
良い車でしたね。
今でも充分通用する思想性を持った車です。
それにしても掲示板であるとかヤフコメであるとか、ああいったところで見受けられるトヨタ叩きであるとか、日本車叩きであるとか、そういったものの源流は何でしょうか?
日本の自動車評論の最も深い病巣は「自分の考えが絶対である」というものでしょう。
絶対という価値観は評論としては破綻しています。
それは評論ではありません。

ヨーロッパ、アメリカなどは確かに先進的であり良い点があるのですが、それは「絶対」ではありませんし、日本に入ってくる情報が「絶対」に正しい情報ばかりでもありません。
情報は必ずバイアスがかかっていますし、「絶対」とはそのバイアスの極致のようなものでしょう。
絶対に正しいことや、絶対に良いもの、というものは存在しません。
ですので一見相対的であることでも、絶対を基準にした相対は意味がありません。

テリー伊藤「日本人は他人を批判する天才になった」

批判というものの質が変化したことは事実だと思いますね。
「おまいう」と言われても仕方ない気がするテリー伊藤氏ですが「想像力」のくだりはまさにそうなのでしょう。
想像力とは妄想ではなくて「物事の両面性であったり多面性を考えること」でもあると言えます。
つまり「絶対というものがある」ではないということですね。

「オラオラ顔の軽自動車はマイルドヤンキー御用達」は都会人の妄想だった
ネットで溢れる「マイルドヤンキー像」もまた一方通行的な絶対的イメージの産物でしょうね。
マイルドヤンキーの象徴というのか聖地というのか、マイルドヤンキー率が高いと言われる愛知県に住んでいますとよくわかるのですが、例えば東京的な価値観からイメージされるようなマイルドヤンキーって愛知県だと一部上場企業またはそのグループ・関連企業勤めや公務員などで家族持ちでマイホーム志向な人々なんですよね。
夫婦共働き、両親共に愛知県出身で土地持ち、そうなりゃ必然的にマイホーム志向になりますし、地元志向になりますよ。
だってその方が経済的・生活水準的に優位性がありますからね。
とどのつまり「経済的合理性を重視する人々」というだけのことです。
ちなみに軽自動車は自動車帝国の愛知県などでは買い物などのセカンドカー用途が多いこともあって女性ドライバー率が高い気がしますね。
アルファード・ヴェルファイアも結構女性ドライバーが多いんですよね。
幼稚園のお迎えでよく見かけます。
東京的視点だと「マイルドヤンキー」になるんでしょうけど、とてもヤンキーだなんて言えませんね僕は。