展望2020.08.15
今の時代は遅すぎる世代交代の時代なんですよ。
戦後50年で完全に区切りをつけるべきでしたね。
五十回忌でおといあげ、区切りです。
人間というものは記憶によって成り立ち、記憶によって左右されるものです。
記憶というものは変質しますし、変化させるものです。
それを意図的にやってるのが先の大戦の記憶ってもんです。
75年前、敗戦の直前まで「日本国民は笑っていた」のはなぜなのか?
私の祖母は戦中に女学生で、工場に動員されました。
楽しかったそうです。
毎日したくもない勉強をしなくて良くて、工場行けばお菓子ももらえて工場の人とペチャペチャ喋りながら適当にプロペラ作ってお金ももらえたわけですから。
わずかなお金とは言えどもバイトもない時代ですので貴重なお金で、祖母はお金を持って一宮のダンスホールへ行って散財したそうです。
我が祖母らしいもんです。
食べるものも農家でしたので豊富にありました。
名古屋は燃えても田舎はのんびりしていたそうです。
祖父は大曽根の三菱に徴用工で行ってましたが、名古屋の空襲で焼けましたから命がけです。
うちにも焼夷弾が落ちましたが、不発弾で屋根に穴が空いただけで助かりましたが、穴を塞ぐのに苦労しました。
お向かいさんは全焼でした。
そこらへんは運ですね。
その後に兵隊に取られて、しばらくして終戦となりました。
日記に残ってます。
生まれて初めて列車から富士山を眺めて感動したそうです。
ただ宿の布団がノミだらけで難儀したそうです。
配属先は国内でしたので、平穏と言えば平穏だったそうです。
祖父は甲乙丙種で言えば丙種合格、身長が短かったので徴兵されない組でしたが、戦争末期は丙種合格者も兵隊に取られるわけです。
それが嬉しかったのですよ。
なんせ兵隊に取られないと良い嫁が来ないのですから。
そういうもんです。
そんな事誰も今じゃ言いませんが、実態としてはそうだったわけです。
あの時代のモテる男というのは兵隊のパイロットであるとか、エリートな軍人さんで、次に国鉄の運転手などです。
兵隊に取られない男なんて下手したら嫁が来ないわけで、それは重要問題になるわけです。
いつの時代も男にとって重要なのはそういう事です。
兵隊に取られたくない云々って話は個人的にそういう人がいたってだけです。
誰もがそうであるわけでなく、赤紙ガーなんてイメージが作られすぎなわけです。
あの手の話は完全に記憶の操作なわけです。
逆に祖父母にとって大変だったのは戦後で、戦後はそれこそ飢え死ぬかどうかという危機でした。
配給の小麦粉を盗まれた恨みを日記に記してあります。
祖母も戦後に祖父と結婚しているので、農家の気楽なお嬢さんから一転して名古屋で食糧難です。
祖父母共に戦中戦前の方が楽だったと言っていました。
戦後になってろくな事がないわけですからね。
農地開放だ何だって話もそうです。
そこらへんは闇ですね。
戦後になってハッピーなんてのはテレビドラマの幻想です。
戦中は息が詰まるような時代なんてのも祖父母からしたら嘘八百だとドラマ観ながら笑ってました。
横暴極まる特高や憲兵が見張っててなんてのも一種のファンタジーで、あんなもんが本当にうろちょろしてたら祖母なんてあっという間に捕まってるでしょう。
なんせあまりに適当に作っていたプロペラで飛行機なんか飛べるはずがない、落ちるにきまっとるがねと友達と言い合って笑ってた人ですから。
今だったらガチで刑事訴追されるんじゃないですかね。
JIS規格も無い時代の工業製品なんて本当にろくでもないもんです。
それはともかく、テレビだ新聞だ何だっていうもんは悲惨で目を引く内容のものしか出しません。
うちの祖母みたいな人の話は絶対のせませんね。
つまりそういう事ですよ。
戦後民主主義とはミーイズムなわけです。
どこをどう切り取ってもミーイズムなわけです。
ミーイズムの社会とは異常なわけです。
それが全ての誤りなわけです。
それが戦後というものです。