展望2020.03.26
ドーモ。
S-Crossは良いぞオジサンです。
あいも変わらずS-Crossは良いですね。
乗れば乗るほど良いですね。
かなり馴染んできました。
独り者で暇なら休み作って遠出するんですが、なかなかそういうわけにもいかないのが悲しいところ。
フィルムでもデジタルでも楽しいもんは楽しいのです。
でもフィルムって今となっては自分の撮りたいスタイルには絶対合わないなとは思いますね。
枚数が撮れないですし、構図や露出で思った通りにいかない事も多々ありますから。
いわゆるレンズ沼やアンティークでフルマニュアルなカメラも堪能しましたが、今は撮る事そのものが面白いので、カメラやレンズは手段だけになってきました。
そうなるとデジタルほど都合の良いもんはないわけです。
なんせ撮れますからね。
だけどまたフィルムに戻るかもしれません。
PENTAXのSLとニコンのFM2とF3とペンF、それにベッサフレックスは今でもまた使いたい時があります。
本当に感触とファインダーが良かったのはF3ですね。
F3は完全に名器、神器と言っても過言ではないです。
ただ重いデカイという難点はあります。
買えなかったけど使ってみたいのが、オリンパスのOM-1、PENTAXのLX、コンタックスのRTSあたりですかね。
不思議とレンジファインダー機とは相性が悪いのか、あまりまた使いたいとは思いません。
形は好きなんですけどね。
レンジファインダー機より単純なピント合わせがのオリンパスのトリップあたりは使ってみたかったですね。
今なら楽しめるでしょう。
好きだったのはヤシカエレクトロシリーズで、あの写りは独特でした。
そしてコニカC35は思い出深いですね。
あれでレンジファインダーの練習をしたんです。
写りも良いのですよ。
階調豊かな写りで良いのです。
中判カメラもまた使いたいかもしれません。
二眼レフの世界は楽しいですからね。
ただ思ったような機種に出会えなかったです。
リコフレックスは二種類使いましたが、レンズは良いのですがなかなかピント合わせが難しいので。
もっといろいろ使えば良かったのかもしれませんが、お金がかかりますからね。
フィルムカメラで旅をするのは楽しいもんで、中でも二眼レフってのは思い切りがいりますが、やってみれば楽しいもんです。
人類平等にアホってのはあるのですよ。
それが人間の本質で、それを「ごまかし」ていたのがリベラルという事です。
その「ごまかし」とはこれですね。
教育力と言うのなら、手洗いうがいぐらい教え込んでから言うべきなのですよ。
表面的な教育の思想性なんてコロナの前では無意味だったわけです。
どれだけご立派な思想を並べたところで、人間として基本的な事を学べなければ、着飾ったお猿さんなわけです。
医師が『絶対に食べたくない食べもの』3位菓子パン、2位ハンバーガー全般、1位はなんと…
こういうのが大好きな医者を何人も知ってます。
厚労省の発表した計画通りに推移しているだけなんですが、情報リテラシーの低い層が安直な陰謀論と妄想で現実を語って混乱していくわけです。
人口分布と密度的に東京での感染者数が増えるのは当たり前なのです。
本当に勘違いしている阿呆が多いのですが、現行憲法と自由主義経済体制というものの本質は何かという事です。
安直過ぎる自己責任原則でもなければ、ゆりかごから墓場まで面倒みてくれるのが「国家」というわけでもありません。
そして世界というものは理不尽かつ不公平であると同時に極めて公平なわけです。
それは法的原則ではなくて、実相としてそうだと言う事です。
それが嫌だと言うのであれば、トマス・モアのユートピアな世界しか無いわけです。
つまり完全に管理される世界ですね。
それはそれで嫌なわけでしょう。
なぜか?簡単な事で、第二次世界大戦後の日本国というものの根幹はミーイズムだけの世界なわけです。
それは憲法以下そうなっているわけです。
夢想的理想主義者の語る福祉とは裏を返せば私権の停止でもあります。
同じく夢想的理想主義者の語る理想的な政治なり社会というのも、そうであります。
同時に夢想的理想主義者からしたら、私権の停止は許せないわけでしょう。
矛盾していくわけです。
だからユートピアはディストピアなわけでしょう。
ミーイズムはゆりかごから墓場までの安息を求めつつ、駄々をこねる赤子の如くその安息を拒否するわけです。
山本夏彦翁が書いたように、1億総王侯貴族となってしまったわけですよ。
誰もが王侯貴族として振る舞うわけですが、実態はそうなるわけではなく、なれるわけが無いのですが、意識つまりミーイズムだけが暴走していくわけです。
今起きている諸問題乃至今から起きていく諸問題の根幹はミーイズムですからね。