展望2020.2.1
なんだがんだで人類ってどんどん発展してるんやな25年前の生活 : なんJ歴史部@2ch歴史まとめブログ
15年ぐらい前と今と比べると、さほど変わってない部分が多いよな。
ネットが普及してネット文化が育った時代がそれぐらい。
今から思えば10年ぐらい前が一番楽しかった気がする。
25年前って言うと今とはかなり違うけど、中学の頃だったので、まだ子供だったからなぁ。
あの頃はプレステとゲーセンが楽しかったな。
うちはスーファミしかなかったから、友達の家でプレステやるのが楽しみだった。
漫画も楽しかった。
テレビもまだ楽しかったが、小学生の頃の方がテレビは面白かった。
駄菓子屋は卒業して、コンビニで買い食いするのも楽しかった。
ボウリングとかも楽しかったわ。
ネットは家に無かったけど、それで不自由も無かった。
98年以降、99年あたりから今の意味でのネットが発達し始めるわけで、あの当時はパソコンは業務用かゲームかのイメージだったね。
パソコン自体は持っている友人は持っていたし、小学校とかでも触っていたんだよな。
ゲームするか画像作るぐらいしかやらなかったけど。
マウスの操作やウインドウズの概念ぐらいは理解した状態だったな。
大学入ったらPCが必須になったので無理して手に入れて、ネットもなんとかつなげた。
ISDNが繋げれたので助かったが、家族は本当に無理解で、アホボンの無駄使いと思われていたわ。
昔の子供はやってたのに今の子供はやらなくなった遊び
プラモとかエアガンとか完全に大人の趣味になったな。
子供向けってのはもう無いね。
小学生の頃はプラモにハマったりした。
置き場所にこまるので止めたけど。
小学生の頃はまだゆるい昭和の名残で、子供が多少悪さしても多めには見られていた。
ビルの隙間や境目のコンクリブロックをつたって遊んでたな。
都会っ子なので自然の中で遊ぶという事は滅多になかったが、駄菓子屋とか児童館とか公園とか、外で遊べば誰かいたね。
ソニーのカッコいいPV上げていく
カッコいいけどカメラレンズ高すぎ問題がある。
最初のDSLRはSONYだった、ていうか中身コニミノのα100で、あれは良かったな。
安いのにファインダーがKissやD50あたりより断然見やすくて、画質も良かったよ。
高感度はちょっとあれだったけど、歩留まりが良くて使いやすかった。
迂余曲折を経てα55を使った時は、あれは駄目だったな。
歩留まりが悪すぎだった。
ハマるときはハマるんだがね。
RX100は久々のSONYだったが、あれもハマるときとそうでない時の差があった。
パナソニックの方がMFTでもコンパクトでも安定してるんだよなぁ。
それにしても定期的にSONYに戻りたい願望は出てくる。
スマホはXPERIAがある間はXPERIAしか使わないだろうし。
でもカメラは難しい。
パナソニックというのか一部レンズが自分に相性が良すぎるので、簡単にSONYってわけにもいかんのよ。
αのEマウントはレンズが欲しいものが何もない。
現実と向き合ってここで何とかするしかない、というのがこれからの世の中ですよ。
トランプ以降のアメリカも、ブレグジット以降の英国も、そうでしょう。
もう旅(=理想主義的願望)は終わったわけです。
厳密にはベルリンの壁崩壊、ソビエト崩壊、中国の改革開放経済、どれもこれもそうでしょう。
西側諸国だアジアだ何だと関係なく、旅が終わって現実の中でもがくしかないわけですね。
経済成長に夢を観ている人がたくさんいますが、その夢も醒めるでしょう。
ネットインフラが完全に普及するということは、どういうことか?
もう隠し事が出来ないわけです。
旅をすれば幸せが見つかるよね、っていう「嘘」がバレたわけですよ。
理想郷も桃源郷も無いわけですよ。
シャネルの五番をバケツいっぱいぶっかけたところでクソはクソ、という図式からは逃れられないわけです。
それが諸法実相というもんでしょう。
股裂きのニコン、破れかぶれのキヤノン:一眼レフ・ツートップの終わりの始まりか?
センサーと画像処理技術が物を言う時代なわけですが、そこでツートップが何をやるべきかということだったんですよ。
超絶個人的意見としては、便利さや快適さはDSLRに求めていないんです。
譲り受けし6Dに白いLレンズで振り回すと、だいたいMFTの数倍以上の重さと大きさに感じるわけですが、それに便利さや快適さはないんですよ。
僕レベルのド素人おじさんはもう確実にMFTの快適に便利に使えちゃうわけです。
重さは不正義なんですよ、おじさんには。
だけど、DSLRじゃないと嫌だな、やっぱこれだなっていう感触が欲しいですよね。
もう凄いのはわかってるんですよ。
ニコンのDfじゃないですが、とりあえずカッコよさが大事なんじゃないですかね?