展望2019.3.8

【悲報】ヨーロッパ車はかっこいいのに、日本車がクソダサいのはなぜか?

IIHSでの結果って日本のカーメディア総無視な時点でいろいろお察し案件なんですよね。

触れてはいけない何かがあるんですかねぇ(棒読み)

それはともかくヨーロッパ車とかいう雑に一括りにされている存在ですが、現在日本で正規ディーラーなどで販売されているメーカーとしてはドイツ・フランス・イタリア・イギリスのメーカーぐらいでしょうか(ジャガーやボルボはどこの国なのかよくわからなくなりました)

だいたい昔は「エンスー」という言葉がありました。

エンスーが好む車と言えば多くはイタリア車やイギリス車、一部のドイツ車とほんの一部のフランス車という感じでしたね。

あの時代のエンスー向けというのか、だいたいはオープンスポーツであったりスーパーカーであったり、其の手の名車と呼ばれるような車はヨーロッパメーカーのものが多かったですね。

『GTロマン』という漫画がありましたが、読むとだいたいこういう感じかと今の人にもわかりやすいかと思います。

あの漫画は80年台後半バブル期から90年台初頭の日本が舞台ですので、免許取りたての学生が80系マーク2を新車で買って調子にのってマセラッティと賭けバトルするって話がありました。

小馬鹿にした感じで描かれた80系マーク2ですが、今じゃカルト的とまでは言わないにしろロシアにもマニアがいるぐらい貴重な存在になってしまいました。

ヨーロッパの各メーカーは90年代には日本メーカーに事実上CPや技術やクオリティで勝てなくなったと見て間違いないでしょうし、それからの20年でもヨーロッパメーカーがCPや技術面やクオリティ面で大幅に日本メーカーを上回った事もないでしょう。

『GTロマン』が描かれた時点で日本メーカーの作る自動車が世界中で売れていました。

あの漫画では最新型の日本車というのは「つまらなさ」の象徴のような描かれ方で、逆に80年代以前のキャブレター時代の日本車や往年のヨーロッパの名車と呼ばれる車こそが「エンスー」の乗るべき車という感じでした。

ここ20年ぐらいのカーメディアでの記憶も、概ね昔の日本車やヨーロッパの名車は賛美されながらも最新の日本車は「つまらない」と書かれる事が多かったですね。

しかしながら「エンスー」というのも昨今では見なくなり、人気の「ヨーロッパ車」とやらもATのSUVやセダンなどの実用車ばかりです。

それらをメディアは「つまらない」とは書きません。不思議ですね。

「つまらない」事になったのは車というより人間なのですが、そういった知見はカーメディアにはまったく無いのも不思議です。

日本車が「クソダサい」と言われながらも世界中にファンがいます。

「つまらない」&「クソダサい」とメディアが言う車代表のカローラですが、今じゃ日本では見かけなくなった100系が今でも世界で愛されているのはインスタで知りました。

インターネットの時代になってよくわかったのが世界では日本車のファンがいるということです。

「つまらない」&「クソダサい」とカーメディアが言い続けた日本車ですが、世界じゃ逆の評価もされていたわけです。

それは当たり前で、価値観というものがそれぞれ違うからです。

その価値観を固定化して商売をしたいのがカーメディアなのです。

カーメディアが価値判断の基準を作れば、どれが良い車で、どれが悪い車が、明確になります。

本質的に車というものが機械であり道具である以上は、使用者の状況や条件によって価値判断基準が変化するのですが、それをカーメディアが認めてしまうと商売になりません。

私がフェラーリを乗っても仕事に使えるわけでもないし燃費も悪いしボディもでかくて邪魔なだけになるので、その際の価値判断としては「使えない車」になります。

しかしカーメディア的にはそんな価値判断は許されないわけです。

カーメディアの固定化された価値判断とは、ヒエラルキーが重要でありCPよりブランド性であり経済性より走行性能であるわけです。

私は真剣にフェラーリよりカローラの方が欲しいですし、いくつかの根拠もあり優れていると判断するのですが、そんな価値判断をされたら困るので権威主義的に価値判断の固定化に勤しむのが自動車評論家という存在です。

考えてみれば不思議なもので、たとえばハイエースとロードスターがあって、どちらが車好きに選ばれるかを想像したら、ロードスターになります。

しかし車好きでハイエースが好きな人はいくらでもいます。

車が好きだからスポーツカーが好きだというわけではないです。

運転が好きだからスポーツカーじゃないと駄目ということもないです。

ハイエースとロードスターのどちらが優れているかなんてのも価値観によるわけです。

日本車とヨーロッパ車というくくりでもそうです。

アルファロメオジュリエッタと日産ティーダのどちらが優れているのか、論理的に証明する事ができる自動車評論家がいたら知りたいものです。

自動車というものが機械である以上は論理によって成り立っている存在なので、評価もまた論理によってなされる事が可能なはずですが、それが出来ないのは価値判断というものが固定化できないからなのです。

それだけの事ですが、それがわからない人が盲目的に価値判断の固定化に勤しむわけです。

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