展望2018.7.14

パナソニックがフォトキナ直前にLX200を発表する!?
むむっ。
出るのかしら?
出せるのかしら?
LX100ともだんだん付き合いが長くなってきましたが、相変わらずのクセの強い感じには慣れたような慣れないような、ですね。
AFもWBも操作系もTX1であるとかGM1やGX7と比べるとクセの強さを感じます。
人によるでしょうが、個人的に一番使いにくさを感じるのがLX100ですね。
パナ機ですと、G2とG3は実に使いやすかったです。
何でしょうね?
操作系ははっきりしていますが、他の部分で細かいところでしょうね。
GM1も物理操作の限定的なところが最初は取っ付きにくい感じでしたが、慣れてくるとどうってことないです。
ただ、パナ機全般で感じますが、タッチパネル操作はやりにくいのでいらないかなとも思います。
タッチシャッターを使いたい人には良いのですが・・・

「半分、青い。」は、日本の衰退を教えてくれるドラマだ
わかったようなわからないような内容ですね。
個人的には北川流恋愛トレンディドラマを朝ドラという枠組みでどこまでやれるかって印象が強いです。
年代によって共感性であるとか、見方というのは変わるでしょうね。
さすが北川脚本だと思います。
閑話休題
日本の衰退というものの正体って何でしょうね。
ここ20年というものは、大蔵省(財務省)と政府日銀が国民の皆様の「正義」を忖度した結果バブル崩壊以後の長期低迷を招いた20年間だったと思います。
とても良く覚えています。
テレビで連日「正義」を叫び続けていたことを。
バブル経済期でも庶民の暮らしは云々と言って、拝金主義はけしからん云々と言って、政治がいかん云々と言って、ひたすら正義を叫んでいました。
大蔵省も日銀も「美しい日本」であるべきと考えて、経済を収縮させていったわけです。
その結果、金が回らなくなりました。
金が回らないから庶民は余計に苦しくなりました。
そんだけの話です。
要は金がどんだけ回るかってだけなんです。
アメリカは何だかんだで金が回るように回り続けるような社会を維持しているからダウ平均株価は上がり続けたわけです。
小渕総理は株上がれと言って蕪を上げてました。
マスメディアは馬鹿にしていましたが、経済としては当たり前なんです。
株価が上がる=金が市場に回っている、だから株上がれと小渕総理はパフォーマンスしたわけです。
世の中なんて金が回っていれば何とかなるもんです。
多少不道徳でも、金が回ってワイワイやってれば、世の中の為に良いことも起こるんです。
質素倹約皆で仲良く金使わず暮らすより、わけのわからん道路でも通したほうが世の為になるんです。
政治ガー役人ガーと他人のせいにして正義を叫んで自己満足に浸る暇があれば、金を回すべきなんです。
そうすれば自然とよくなっていくもんです。
ただそうしたくない人がたくさんいるわけです。
夜中まで働いた役人が帰りのタクシーでビール飲んだりするのですら許せない人がいるのです。
最近じゃジュース飲んでも怒られるってんで透明なコーラまで出てきました。
正義と道徳を声高に叫ぶ人にこそ用心すべきなのです。
今を衰退と呼ぶならば、正義と道徳こそが衰退を招いたと私は思いますが、生きやすさとか文化的洗練度であるとか違った視線で考えたら衰退というものとは違った側面があるのが現代日本でもあると思いますがね。
正義と道徳を叫ぶのは害悪であり、衰退を連呼するのは思考停止の一つであると言えます。

西郷どん 第25回「生かされた命」ツイートまとめ
役者の演技力と錦戸亮パワーで進んでいる感あり。
そしていつの間にか終わった薩英戦争。
いよいよ維新回天に突入するのでしょうね。
苦労続きだった一蔵どんにもご褒美タイムが訪れる予感もあり。

「真相究明」「再発防止」を掲げる「オウム事件真相究明の会」への大いなる違和感
確かに違和感しかない、というのが正直なところでしょうね。
あのですね、オウム真理教をどんな形であれ、擁護したい・擁護していた・擁護している連中っているんです。
有名なところでは某東大大学院の宗教学とやらを何かやってるいう割にはトンチンカンどころか間違えまくった知識と解釈を振りまいて迷惑をかけまくるアイツとか。
またはオウム真理教というものを使って何らかの政治的アクションを起こしたい人もいるんです。
それがキモなんでしょう。
オウム真理教に多様な面があったとは言え、実際に重大なテロを引き起こし無辜の民を殺傷した事実は揺るがないのです。
それがどのような経緯や経過で、どのような人間と組織が関わり、何が行われたのか、という点については研究と分析は必要でしょう。
しかし、殺戮を行った、その一点だけでオウム真理教には何ら擁護すべき点も注視すべき道義性もありません。
ただ粛々と破防法を適用すべきでした。
江川紹子氏も破防法適用には反対だったと思いますが、最悪の結果は訪れなかったとは言えオウム真理教は事実上分派し各地に散らばっています。
それは破防法適用しなかった結果であるとも言えます。
完全に組織を破壊すべきでした。
逆に言えばオウム真理教の殺戮行為を完全否定しきれなかったのです。
オウム真理教は歪にして砂上の楼閣の如き教義を隠れ蓑にした重犯罪組織でした。
はっきりとそう断言すべき=破防法適用すべきでしたが、その教義から成り立っていると自称する仮面の宗教性を否定しきれなかったので、オウム真理教はオウム真理「教」として「残った」わけです。
だから「値打ち」が出てきてしまったんです。
真相究明と言うなら裁判記録を読むなり、多数の書籍を読むなりすればいいだけです。
防止というなら「いかなる形のテロというテロを企てる重犯罪組織には破防法適用する」というだけで良いのです。
問題となるのは宗教または宗教団体の定義を誰がどう行うか、という点ですが、法によって成り立つ国家である以上は法によって定義されるしか現実的には解決策はないでしょうね。